調和する生き方~ベテランの意味~

歳を経ていくと、体験を積んだ分の知識が増えていくものです。そして歳をとっていくのだからそれだけ様々なものが身に着いていきます。人は誰しも最初は新人で、その後、中堅などと呼ばれ、最後はベテランなどと言われます。それは経験年数と共に、それだけの経験と知識が増えていき立場や肩書なども変わっていくからです。

先日、ある人から老害という話を聞きました。そういうこともあるのかと私にはとてもショックな言葉でしたが、謙虚さを失えば誰しもそう呼ばれるかもしれないと感じたものです。

老害という言葉を辞書で調べると、「自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪。」と書かれています。この対義語には老益というものもあり、主に「チームへの貢献度が高いベテラン選手、全体や組織への貢献度が高い経験豊富な謙虚な老人」ということでしょうか。

同じベテランでも、いつまでも自分が自分がと自分が全面的に前に出てしまい自分が正しい、自分がリーダーだといつまでも先頭でやろうとすると周りが育たなくなっていくように思います。逆に、自分よりも全体を思いやり若い人たちや経験が足りない人たちのフォローやカバーに入ることで次世代を育てたり、大事な局面で心を支えたりすればベテランとしての価値が引き出されていくようにも思います。

人間は誰しも老人になっていきますが、自分自身が今、どのような状況なのかを客観視し、自分自身がどうあることがもっとも全体の役に立つのかを考えて行動するにはやはり謙虚さや素直さが必要になるように思います。

そしてこの謙虚さや素直さは、感謝の豊かさと徳の積み方によって磨かれていきます。

経験することで何を磨いてきたか、老いていく中で何をそぎ落としてきたか、それが歳を経た時に顕著に顕れるのかもしれません。私も老いていますから、いつまでも過去のままでいることはできず降りていく時季を迎えています。尖がったり、偏ったりが磨かれて調和されて一円になる時期です。

降りていく時だからこそ「人は皆わが師」であると尊敬し心を高め、自分自身を謙虚に見つめて素直な感性を常に磨き直していきたいと思います。

 

  1. コメント

    経験を積み歳を重ねる中で出来なかったことが出来るようになる一方で、やっていたはずのことをやらなくなっていると、靴を揃えたり、掃除する仲間の姿から最近感じるものがありました。組織においては経験者がベテランになりますが、子どもたちから見たら大人の私も十分人生のベテランなのだと思います。子どもたちのお手本となれるよう、足元から見直していきたいと思います。

  2. コメント

    いつの間にか「アラ還」と呼ばれる歳になりましたが、自分のなかには、二つの関心があります。ひとつは、「もっと知りたい、まだまだ学びたい」という気持ち、そして、もうひとつは、「そろそろ身軽になりたい」「手放すことで本質に迫りたい」という気持ちです。特に、「手放していくことと引き換えに得られる豊かさ」や、「捨てることで初めて見えてくる世界」を大事にしたいと思います。

  3. コメント

    先日、子どもの小学校の授業参観に行ってきました。学校教育と言えば思い出されるのは先生が生徒に正解を教え、先生が問い生徒が答えるものでしたが、子どものクラスの授業は全く別物で驚きました。先生はあくまでファシリテーションに徹しフォローのみを行い、子どもたちが子どもたちに問いかけたり教えたりするスタイルで授業が進められていました。授業の内容ではなく、そのあり方から感じたものを自分自身も活かしていきたいと思います。

  4. コメント

    人の話を聴くのは難しさを体感しています。評価される、指摘される、答えは言うが助けはしてくれないと思われてしまう自分自身では本音を言ってもらえなかったりと、自分を見ると結局は立場に対する自己認識が、フォロワーになっていないのだと痛感します。どんな立ち位置でも、寄り添う軸足を間違えないようにするには自分でいっぱいいっぱいになっている場合では無いのだと思いますが、意識は切り替わればよいのだから、頂いた機会のたびに挑戦して行きたいと思います。

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