何が自然で何が不自然かと比べながら病気を深めていると色々と体への常識が歪んでいることに気づきます
人間は誰にしろ生きていれば死ぬまでに必ず何かの健康問題に遭遇します。元気な時には気づきにくいですが、それは病気になったときにはたと気づくものです。そもそもこの健康というものは、健康になったから終わりではなく如何に日々に健康を維持し続けるかということを指す言葉でまさに健康は中庸と同義であることに気づきます。
一生涯、自分の健康を維持するには食生活に睡眠生活、運動生活、精神生活、心の生活、その他にも生活環境など日々の生活習慣を改善し続けることではじめて維持していくことができます。不慮の事故や、先天性のものを含めれば当たり前になっている健康の維持ということは如何に大変なことであるかに気づきます。これは守られていなければ実現しないほど偉大な恩恵をいただいて私たちは生きているということです。
以前、ある方に一汁一菜の話をお聴きしたときに今の時代は都会に住めば食にあふれなんでも世界中の食べたいものが食べれる時代ですからこれを実践するのは本当に難しいことだと感じたことがあります。そう考えてみると先ほどの生活の種類でも、都会に住めば食も睡眠も運動も心もする機会がほとんどなく、生活環境は排ガスや密閉建築の便利な生活の中でほとんど健康を維持することができません。
そして心身に支障をきたし病院にいき高価な治療費を払い、薬漬けになって健康を取り戻したと思っているのが如何に不自然なことかと思うのです。お金を払って健康を買うというのは、現代社会のもっとも大きな問題だと思います。まさに医療費も増えてさらに経済を追い続けて破たんがくるとわかっていても自転車操業のようにやめられない、この社会システムの悪循環によって貴重な国家の未来の人財や人口が減っていくのは悲しいことです。
時代が変わり続け終わることがないようにそもそも病気は死ぬまで完治などないのだから、私たちは如何に一生の病と付き合いながら生活を改善し継続していくかを考える必要があります。そうなってくると、次第に訪れる様々な出来事に耐えれるだけの力を身に着けていく必要があります。
この世で耐えられる力は何でつくか、乗り越えるための強さは何でつくか、それは「生活習慣」によって実につくものです。それを実践とも言います。何の実践を継続していくか、それは生き甲斐や遣り甲斐のある一生を送るためにの生き方の改善です。
ですから生活習慣の改善を通して行っているのは実際は生き方の改善をしているということです。
生き方を見直し、何を改善するか、それは病気がすべて教えてくれています。病気は私たちを強く活かし耐える力を育むために、そののちにやってくるであろう困難に立ち向かうための活力と恩恵を同時に与えます。
だからこそ痛くても前に進むことや、つらくても歩くことは治癒をいただくことですから希望が出てきます。希望さえ持てば誰にせよ自然の治癒力が働いていることに気づきはじめます。その希望に向かって如何に自助努力を続けるかが、人間健康の本質ということでしょう。
引き続き、できることをやりながら時が経つのをじっくりと生活習慣を改善しながら待ちたいと思います。
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健康診断は数値から改善すべきところが見え、去年と比べてどうかというのも見えます。ただ数値でわかっても、なかなか実感として湧かないものもあります。日々の生活の結果が数値としても現れると思うと、やはり見直すべきは日々の自分自身の生活です。健康な時に健康のことを考えるのは難しいですが、健康な体があっていろいろなことに取り組めることに、自分自身の体に感謝し労っていきたいと思います。
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「病気」にまでならなくとも、睡眠不足、運動不足、食べ過ぎや不摂生による不調は、随所に現れています。それを、からだの異常と認識せず、警告と受け取らず、相変わらずの生活を送ることは、やはり不自然そのものです。人間には、「慣れる」という能力もありますが、この「慣れ」が判断を狂わすことにもつながっています。「悲鳴」になる前に、ちゃんと「からだの声」を聴きながら、そのサインを見逃さないように、暮らしを整えたいと思います。
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妻任せだった食生活について、最近ではお陰様で自分自身でも取り組むようになり、ここで実践し始めたことは単なる「料理」ではないことに気づきます。自分の体のようでいて実は自然物の集合体、ここでもチームであるからこそ、自分勝手に負荷をかけないよう、体の隅々と協力・調和して健康というものを維持していきたいと思います。
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今年一年、沢山身体には負担を掛けてしまいましたが、そこから学び、改善出来るところを改善し、来年を迎えられればと思います。今はまさに学びの最中ですから、心穏やかに受け取って行きたいと思います。