先日、離れのお風呂の流し台を古い手桶や箪笥などを組み合わせて改造してつくりました。最後の仕上げには柿渋を塗って復古創新された美しい流し台になりました。
現代は、なんでも物は大量に安くつくられますから修理ということがほとんどなくなっています。少し壊れればすぐに買い替えられ、壊れていないのに古くなったからと捨てられます。
少し昔に遡れば、古民具や骨董の道具などは何十年も何百年も長く何代も使われたものでした。それも今の時代は、古いからと捨てられどんどん新しいものに変わってきています。
昔の素材は長く持つように時間をかけてつくり、素材も長く生きるものを用いました。現代は化学が進歩し、プラスチックをはじめ様々な化学素材ができ長持ちはしなくても便利にすぐに使えるものを生み出しました。
そのことから古いものを時間を待って修理するよりも、新しいものをさっさと買って来た方がいいという価値観になっています。このどれもが「時間を急ぐ」ことによって行われます。
スピードが上がっていけば上がっていくほど私たちは時間を無駄にしているという感覚になっていきます。一分一秒を惜しんでというのは、目標に早く達するためにということがあります。しかし一見、急ぐことは時間を無駄にしていないように観えますがその実はとても時間を無駄にしているとも言えます。
かけがえのない時間、少しでも寿命を伸ばしていこうとする価値観は急ぐのではなく味わうのです。例えば、早く急いで食べて次のものを食べようとしていたら食べているものの味などよくわかりません。大量に食材があってそれをすべて平らげようとしたらそうなりますが、それが果たしてもったいないことなのかと思います。
ひとつのものでも丁寧にじっくりと関わり、ゆっくりと食べていたら味わい深い時間を過ごせます。そこまで手にかけてきたすべて、周囲の御蔭様の感謝、心が満たされながら体も満たされます。
同様にものづくりも、時間をかけて材料を集めて構想をしっかりと練って、丁寧に手作業でつくっていくこと。この時間をかけたことが仕合せであり、そうやってできたものは魂を分け与えた気持ちになります。
古い道具たちはみんな、そういう時間を主人たちと共に過ごしてきた大切なパートナーたちです。新たなパートナーとのかかわりもまた、急ぐのではなくじっくりと味わい創り上げていきたいものです。
引き続き古民家甦生を通して生き方を改善していきたいと思います。
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子どもの頃感じていた時間感覚と大人になった今とでは、流れる時間の早さがまるで違います。子どもの頃は1年がもっと長くゆっくり流れて見えましたが次第に速く流れるようになったのは、何でなのでしょうか。見るもの全てが初めてで驚きの連続がそう感じさせていたのかもしれませんが、大人になった今も見たことがあるものでも、再発見したり新鮮に物事を見れる眼差しは大切にしていたいことです。早くできるようになることよりも、一つ一つを丁寧に真摯に向き合う、このことを大事にしていきたいと思います。
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いまのスピード感覚で生きている限り、一日が30時間になろうと、寿命が120歳になろうと、やることは増えても、豊かさは変わらないでしょう。「時間をかける」とは、じっくりとその瞬間を味わうことであり、変化を楽しみながら待つことでもあるでしょう。「目的地」に早く着くことよりも、「その道中」をしっかり味わう生き方をしたいものです。
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風邪も治ったかと思えば、ぶり返し、気が付けば1週間になります。早く治すことばかりに意識を向けると辛いばかりですが、この際を味わうと、掛け替えのない今であることに気付きます。2度と同じことはないこの体験を味わうことに意識を向けて行きたいと思います。
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「新しいものへ、新しいものへ」「次は、次は」と視点が向かいがちですが「今を十分に、存分に味わっているか?」と敢えて立ち止まってみることも必要なことのように思います。振り返りや内省を行うこと、また最近は配信の動きから、過ぎ去ったものにもう一度光をあて、味わい直すことに豊かさを感じ始めています。