昨日、無事に聴福庵離れの瓦葺きを終了することができました。伝統的な工法に加え、瓦葺き職人がさらに空気が下から上に抜けて呼吸できるように土と瓦の組み合わせを考案してくれました。日本の高温多湿の環境と、お風呂としての活用になりますから自然に風が建物を通り続けるようにするためにも屋根は家の要になります。
今回のことを通して学んだのは、風通しの智慧です。
風と一概に言っても風にはいろいろな風があります。例えば、澱んでいる風、濁っている風、また新鮮な風や透き通った風など、すべて感覚ではありますが体験したことはあるはずです。
例えば、澱みや濁りの風でいえば空調や扇風機などで一カ所だけから出て行き詰って風が通りません。他にも密集地のビルの合間などによくこのような風があります。天井付近に溜まった空気なども澱みます。また逆に新鮮な風や透き通る風は、例えば深い杜のあるような神社の境内や風の通りを邪魔しないときに入ってくるような自然な風です。草原を流れる風や、海風なども透き通っています。新鮮な風は、密封されていないところや水が流れているところなどに発生しています。
感覚が鋭い人は、密室密封ですぐに気分が悪くなったり、その逆に空気で心身が澄み渡り鋭敏になる人もいます。つまりこの風一つで人体をはじめすべての生き物たちに多大な影響を与えているということです。
私たちが風を感じるのは、呼吸するときに感じます。その呼吸は肺や皮膚によって行われ、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出して血液を循環させて健康を維持します。しかしこの空気というものですが、ただ酸素を吸っているわけではないのは先ほどの風からもわかります。
私たちは空気の中にある、不思議な存在を取り込み、それをエネルギーや原動力にして生命を維持しているともいえます。空気によって元気なったり、空気によって健康になったり、空気によって精神や肉体、気力などに大いに影響を受けているのです。
眼でみてわかりやすい食べ物や飲み物などは、すぐに体に影響が出ることはわかりますが、空気という一見何もない透き通った存在がそんなに影響を与えるとは思わないものです。しかし、水や食べ物は少しの間、とらなくても生きていけますが空気は取れなくなるとあっという間に死んでしまいます。
つまり私たちは呼吸を通して地球とつながったり、呼吸を通して生命を維持するのです。この当たり前の原理にどれだけ気づいているか、ここに風通しの智慧の極意があるとも言えます。
風通しをよくするのは、別に自然や建物の話だけではなく人間関係においても同様に行われます。風通しのよい組織は、元気になりますし日々の暮らしを健康にしていくこともできます。
この仕組みは、建物にすれば目に見えるものになり、これをマネージメントで用いればすぐにまた人の間において目に見えるものになります。どのように風を通すか、そこには「風を通す技術」が必要ということです。
ジメジメとカビが生えて、腐ってくるような場所には風は通りません。風が通らないということは生き物は生存できる環境ではないという事です。私が自然農や伝統の智慧で学んでいるものはこの風通しの智慧なのです。
引き続き、この自然の法則や先祖の智慧を通して日本の風土にあった仕組みを今に温故知新し、発明し直し子どもたちに伝承していきたいと思います。
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寒くなって来ると暖房器具を使い始めますが、時折換気するとスーッと冷たい空気が入ってきます。あの換気を組織に例えると、人が新しく加わったり、新たな組み合わせだったり、多くのものを生み出すことを感じます。目には見えない風ですが、台風のような激しさではなく、温かく包みこむような、穏やかな自分自身でありたいと思います。
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「風」は、空気だけでなく、熱も運びます。最近の家や企業は、密封されていて風が通りません。冷暖房の効果を落とさないために、空気の入れ替えすらしません。この状態が、人間関係の風通しの悪さを象徴しているかもしれません。風を通す仕組みを創造する必要があるようです。
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当たり前にある空気や風を感じることは「自然に近づく」という感覚なのだと受け取りました。日本家屋は自然と共にあるということが改めて感じられます。風が通るというのは古民具からも感じられた修理・修繕の意味合いもあるように思えます。使い潰して買い替えではなく、常に手入れをしていくという意識を大事にしていきたいと思います。
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園に行っても、風を感じますが、やはり不平不満を言わず、前向きな天国言葉を発していると心地よい風を感じ、不平不満を発しているとジメジメした風を感じます。土台の習慣に良い習慣がある程に良い風土が出来上がるのだと思うと、日頃の行動が風土を作るのだと自覚して、自分を見つめたいと思います。