人生には苦しい時というものが何回もあります。その時、私たちは信じる力が減退し弱ってくるものです。その時、自分以外の何かの「信」に頼って自分を信じる力を甦生させていきます。
人は一人ではないと思うとき、このままでいいと思えるとき、信じる力によって救われていくものです。
この信じる力というものは、希望でもあり生きていくうえで自立していくためにとても大切ないのちの原動力でもあります。人間は信じあうことで不可能を可能にし、信じることができてはじめて感謝の意味を実感することができるように思います。
信頼というものは、その信じる力を伸ばすとき、また信じる力を回復するときに欠かせないものです。信頼関係が持てる人との心の安心基地がある人は、どんなに困難が降りかかって信じる力が失われてもその安心基地に頼ることで自分を信じる力を増幅させます。
この安心基地は、一緒に信じてくれる仲間の存在であったり同志やパートナーの存在であったり、どんな時も片時も離れずに自分を信じてくれる内在する自分の魂であったりします。
人はこの安心基地を築き上げるために、それぞれに信じるものへ向かって一緒に力を合わせて取り組んでいきます。人が協力するのは、この信じる力を合わせるためでもあり、安心基地を共に築いていくためでもあります。
誰かと一緒に関わり何かを行う理由は、この信じる力を身に着けてその「信」によって互いの人生を共存共栄していくためでもあります。人は「信」で繋がるからこそ人生の歓びや楽しみ、仕合せを感じられるのです。
その信で繋がることができるのなら、お互いの信を分け合って助け合い自分の使命を全うしていくことができます。人間は時として、自分を信じられなくなる時が必ずあります。夢を諦めそうなとき、孤独を感じるとき、それは自分を強く逞しくしてくださっているのですが信じあえる存在がいることで夢に救われ、孤独よりも愛の大きさを知るのです。
私のメンターが見守るとき『本当の自立とは自分でできるようになることではなく、人に頼ることができるようになること』といつも仰っていますが、これは「信頼」を深めれば深めるほどにその意味の奥深さが分かります。
勘違いした価値観や、刷り込みや常識に囚われればこの自立の意味もはき違えて信じる力を減退するための環境を自らが子どもたちに広げてしまうかもしれません。もう一度、信じるとは何か、なぜ信じるのかと確認しながら本来のあるべき姿に回帰し、信で繋がり、信で頼り合う関係を構築していきたいと思います。
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「信じるか、信じないか?!」を試される時がありますが、その都度迷ったり、いちいち引っかかるようでは、「信じる力」は弱いと言えるでしょう。本当の意味で「信じる力」とは、「信じている」ということです。それは「何があろうと」ということであり、条件次第で変わるものでありません。「実績」や「証拠」を気にしている間は、「まだまだ弱い」ということではないでしょうか。
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背中を押してもらい勇気が出たり、反対に誰かの勇気になったり、そんな時に距離がぐっと近づくものを感じます。端から声を掛けるだけでなく、一緒に乗り越える気概こそ本来の本業でもあるのだと感じます。仲間の働き方からそのことを感じることも多く、自分自身もそこに少しでも近づいていけるよう精進していきたいと思います。
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自分の思い描くようになる事を信じていると、人を使い、頼り始める自分がいます。夫婦なんかでたまにそういう我が出ます。思い込んで使い始め、自分の信じたようにならないと人のアラが目立ちます。信頼は片方が信じて頼れば良いものではなく、普段の関わりがお互いにあってこそなのだと思うと、やはり日頃の自分の行いを、家庭でも社内でもお客様とも顧みていきたいと思います。
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一円対話でお互いの今を知ったり大切にしたいものを感じると励まされることがあります。それはまたお客様の実践の声からも感じることができ、自分たちが実践を大事に守れるのは共に歩む先生方がいるからなのだと実感します。いつもそんなお蔭様の中で生き働いているということを忘れないようにしたいと思います。