今年の一年もまた、温故知新や復古創新に取り組んだ一年になりました。一般的に古くなったものを新しくしていくのは当たり前のことですが新しいものをわざわざ古くしていくというのは当たり前ではありません。
時代的には、技術は進歩していきますからどんどん新しい素材や仕組みが席巻していきます。そうなると古い素材や仕組みが対応できませんから、新しいものに換えざるを得ません。
例えば、昔使っていたポケベルやPHSに戻そうなどといってももう環境がなくなっているのだから使うことができません。それに今更昔の技術に回帰してもメリットもなくなっています。
特にIT技術の革新は早く、ほんのちょっと前まで主流だった技術があっという間に古くなっていきますからこちらの柔軟性や順応力が重要になります。人工知能になればさらに発展の速度は加速するはずです。
これらは古いものを壊して新しくすることです。
しかし先ほどの新しいものを壊してわざわざ古くするとはどういうことか、それは見直しや見立て直しをすることで本来の智慧を甦生することです。そしてそこには職人の技術が必要になります。
つまりは先ほどのIT技術とは異なり、新しいものを改善し見直すにはそれ相応の智慧を持つ人たちの技術が求められるのです。
これは仕事でも同じく、新しいプロジェクトを創るのは簡単ですが過去のプロジェクトを新しくするためには経験や智慧や改善できる技術が必要になります。それは敢えて新しくしない技術といってもいいかもしれません。
昔の智慧を現代に復活し甦生させていくにはどう見直すか、どう見立てるかといった改善の目利きが必要です。そこには思想や哲学、さらには自然観や歴史観、死生観など様々な生き方や生き様、もっと言えば文化に精通していなければできないからです。古民家甦生でいえば、数々の伝統の職人さんたちと意見を合わせながら最適な技術をそこに施していくことで新しいものが古くなっていくのです。そこには職人技術いった伝統の智慧が凝縮されます。
技術といっても、この職人の技術は英語でひとくくりに語られるただのテクノロジーではなく心技体の合一した人格が備わっている叡智の伝統技術です。つまり新しいものを古くするには、人格に伴った伝統技術が必要になるからです。
そしてその伝統技術もっと別の言い方にすればそれを「徳」ともいうのかもしれません。
「徳」が備わってこそ本物の技術を持ち新しいものを古くすることができると私は思います。それは様々なものをモッタイナイと感じる心、ご縁を繋ぎムスブ心、子孫のことをミマモル心、清らかに澄まされたマゴコロ、など、日本の文化を体現する徳が智慧として技術に還元されるということです。
今回の聴福庵の離れの復古創新は、新しいものを古くした一つのロールモデルです。引き続き、子どもたちのためになるような徳の甦生を実践していきたいと思います。
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時代というのは「思想」で成り立っており、その思想に基づいて、新しい技術の「使われ方」も変わってきます。「復古創新」というのは、「何に基づいて成り立っているか」という、その「思想」と「伝統の技術・智慧」の再確認もあるでしょう。日本の智慧をどう生かし続けるか?!その生かし方を試されているのかもしれません。
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離れの作業が進み、井戸を掘り始めたところから思い返すと短期間の間に随分物事が進み、そして多くの方のご協力をいただいていることを改めて感じます。しかし、ついそこにばかり目がいってしまうと本来の目的を見失ってしまいます。そもそもなぜ古民家であり、離れが必要となり、そこにどんな伝承を施したのか、あの大きな湯船に浸かりながらそんなことにも思いを馳せたいと思います。
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ドラマ陸王では「足袋」と「ランニングシューズ」という古きと新しきを両立させていく中で、新しいものが古きものへと活かされたり、古きものが新しきものへ活かされたりという場面を見ました。どちらかだけをしていたらそれが見られなかったことを思うと、両輪があることの大切さを感じました。古きも新しきも大切にしていきたいと思います。
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左官の親方の「何か面白いことをしよう」という言葉がふと思い出されます。それはまったく新しいものを生み出そうという奇想天外なものではなく、受け継がれてきたものを活かしながら、今そしてこれからに向けて必要なものを遺していこうとする心があったように思えます。面白いという言葉に深さがあり、その中に復古創新のヒントがあるのかもしれません。