人はどのようなことに取り組むことになっていたとしても、その「本質」が変わればやっていることの意味が変わってきます。なぜでは本質が変わってしまうのか、ここには「我」によって左右されることはわかっていますがその「我」は何によって影響を受けるのか。それは評価ではないかと最近は感じています。
その評価は、他人からの評価のことです。
他人からの評価とは、人が自分をどう思っているかとか、または自分が周りからどう思われたいかとか、自分の評価を自分で上げ下げするために基準にしているものです。
自分が好きなことをしていて認められていると実感している人は、あまり他人からの評価を気にしていません。しかし自分自身で認めることができない自信のない人は、いつもその評価に「我」が影響をうけて本質から外れていくように思います。
そもそも何のためにやるのかを知り、その目的のために楽しんで一生懸命に取り組んでいく人は他人や自分がどのように評価しているかどうかなどを気にしてはいません。無我夢中で一心不乱に取り組む人は、「我」を忘れて没頭していきます。そうすることでより一層本質に近づき、その本質の中で得られる真理や得難い智慧の習得や発見や発明に好奇心も活気づいていくように思います。
誰かに認められたいからや自分が認めたいからという「我」が前提を覆したとき、人は本質から外れていきます。
常に「我」に呑まれないように注意し、何のためにやるのかと常に内省と自覚をもって事に当たることこそが本質の維持につながるということでしょう。
誰かや自分の評価ばかりを気にして生きていく人生は、その幸福の価値が本当の自分ではない別のところになってしまいます。それが余計に我を強くし、自分自身を認めることができない原因になっているのでしょう。我を省き、本当の自分自身を取り戻すことがこの評価の刷り込みを取り払う方法かもしれません。
世間がどう評価されようが自他のことを上下で物事を見る癖をやめて、ちっぽけなプライドよりもより大きな目的の実現のために生きていきたいものです。
日々を味わい、今を楽しみ、いただいている機会やご縁に感謝しながら子どもたちに譲っていきたい未来を創造していきたいと思います。
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人は、「自分が他人を評価するように、自分が評価される」と思っているようです。したがって、「自分が他人を評価するときの視点とその基準」を変えない限り、「人からの評価を気にするポイント」は変わりません。「自分は、いったい人の何を評価しているのか?!何が幸せであると思っているのか?!本当にそれは、自分が望む生き方なのか?!」そこから見直す必要があるのではないでしょうか。
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キラキラしている人を見ると、人からの評価ではなく自分自身で決めたことをやりきっているように思います。そして、下手な評価は通用せず自分自身が至らないことを痛感します。評価と競争の刷り込みもまだまだありますが、イキイキ、キラキラしている子どもたちのように自分自身も子どもが憧れるような、生き方を目指していきたいと思います。
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自他を比較したり批評したりする心を無くすことは簡単ではありませんが、選ばないという選択肢や生き方、人に喜んでもらうという生き方などたくさんの生き方に触れていく中で未熟な自分を磨いていただいているように感じます。今ももちろん未熟ですが、磨いて頂いているという感謝の心と、成長することの喜びを大切に生きていきたいと思います。
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自然界の他の動植物と違い、人間はとかく誰彼の評価をしたがる生きもののように思えます。それはある意味ではとても人間らしいものかもしれませんが、そういったものを省いていくほどに人は自然に近づいていくようにも思えます。自然に近いように思える方々は皆不思議な温かさをお持ちのように感じられます。理屈ではなく感覚で伝わってくる、それが評価の次元にいない方々の持つ温かさなのかもしれません。