乗り越える力~心の強さとやさしさ~

昨年から右足の坐骨や膝が痛くなり歩けなくなりました。右足は過去に交通事故から靭帯を断裂し複雑骨折をした場所もあり古傷がたくさん残った場所でもあります。はじめてのことで知り合いから病院をいくつか進められ診察しましたが、原因もよくわからずあまりすぐに治癒するという感じではないことはすぐに気づきました。

最初はやろうとしていたことができなくなり計画を大幅に変更する必要に迫られ心の葛藤もありましたが、ある整体院の先生からの話に納得するものがあり、乗り越えることの意味を考え直すよい機会になりました。

その先生からは私が普段、取り組んでいる自然農や古民家甦生、発酵などに近い自然観の話が多く治癒もまたそのように行っていくことを学びました。いくつかの話を抜粋して紹介すると、

「人間は常に重力の恩恵をいただいている、重力のお陰で骨も間接も筋肉も強くなる」

「歩行することで、治癒を助けることができる。この歩くことは生命の基本、その当たり前すぎるからこそ誰もこの歩行の治癒の価値に気づかない、この歩行医学はずっと過去から現在に至るまで変化していない普遍的なもの」

「人間に完治などない、それは社会的治癒のこと、本人がそのストレスのなかでも生活できればそれで治癒とする、完全に治す必要はない」

「姿勢をよくすることこそ、骨盤を立たせること」

「人間は体を動かすことで回復する」

「熱は細胞を痛める、早めにとること」

「昔の暮らしをやることがいい、今の道路は人間のための道じゃない、車のための道、だから公園ではわざと柔らかくし歩行者用道路になってる、本来は土がいい、土の上を歩くことがもっとも体に負担がない」

「医師が行うもっとも大事なのは経過観察、その人が自然治癒しているのに余計な介入をしない、よく観察しちょっとだけ手助けすること、介入し過ぎるから面倒なことになる」

「人間は時間をかけて成人していく、骨も筋肉も時間をかけてつくりあげてきた。同様に怪我をしもとにもどるのにはかなりの時間がかかるものと思うこと」

「治癒は常に自助努力によってのみ実現する、それを他人が変わって治してはいけない」

このよう話のキーワードを抜き取ってみても、自然に通じる話が多く、治癒の本質とは何か、私たちは何の恩恵をうけて体を維持しているか、そして心はどのような持ちようで歩んでいけばいいかなどを語っていることが分かります。

人間には心と体があります、そして精神もあります。このすべてのバランスを整えながら治癒していくことで今まで以上に強く逞しくなっていくのです。

そしてこの先生のアドバイスでもっとも心に残ったのは、「痛くても歩いていくことで治癒するんです」という言葉。これには私の得意分野ですよと即答しましたが、痛みを乗り越えて歩んでいくことで人は心を強くしていくように私は思うからです。

その「心の強さ」とは何か、それは「乗り越える力」のことです。

子どもたちに身に着けてほしい自立の力の一つとして世界でもリジリエンシー(resiliency)という言葉が共通理解を持たれています。これは心の回復力とも訳されますが、私にとっては「心の強さと乗り越える力」のことだろうと思います。

その時々の成長の痛み、生きていく上での様々なストレスや感情をどのように受け容れるか、あるがままを受け止め、如何に痛みを乗り越えていくか、それは痛みから逃げるのではなく痛いながらも歩んでいくことを已めないことが心を強くし、そして本物のやさしさを持てる人間になっていくということでしょう。

困難から決して逃げてはいけないのです、逃げるのではなく乗り越えることを教えることが人を強く優しくしていくからです。

心技体や心魂体のすべてを調和できるよう引き続き機会やご縁を子どもたちに還元していきたいと思います。

  1. コメント

    「痛くても歩くことで治癒する」この言葉は、「人の体の基本的な仕組み」を教えてくれているようです。「人体は、壊れもするが治す方法も備わっている」というのは、とても大事な認識です。しかし、それが「無理をして更に悪化すること」なのか、「リハビリになる」のかは、「痛み」だけでは、なかなか判断できません。こういう智慧こそ、しっかり学んで実践したいものです。

  2. コメント

    中学生の頃、成長痛と重なったのか随分膝の痛みに苦しめられました。練習でも1日20キロ走ることも稀ではなく、距離の辛さよりも走れないものかしさの方が辛かったように記憶しています。この時期、毎年どうしても箱根駅伝をずっと観てしまいます。それはそれぞれの苦悩に少なからず共感するものもあり、つい応援したくなってしまいます。自分はそんな時に顧問や仲間に支えられ、乗り越えられたと思っています。自分も誰かの支えとなれるよう、一緒に取り組んでいきたいと思います。

  3. コメント

    痛みやストレスから逃れるには、何もしない事が想像できますが、何もしない事はまた、別の不安や痛み、悪習慣を生むことも少なくないと、腰痛から感じています。転じていくとは向き合い、味わい、受け取ることなのだなぁと、今日のブログから感じています。痛みを悪者にしない自分になりたいと思います。

  4. コメント

    あけまして有り難うございます。新年も信念と共に、辛抱を胸に幸せを抱いて生きたいと思います。先日、車に乗った姿勢のままだと痛む、走ると痛い左膝を起点に、足の指先から肩に至るまで、人生初のお灸をすえてもらう体験をしました。体内で渋滞(いたみ)を起こしていた、きっと出たかった熱が燃やされスーっと自然に抜けていく心地よい時間でした。女医先生に砂浜歩きをすすめられました。心身のリハビリ&リフレッシュビ‐チウォ―キング。志練の時間。皆さんと一緒にワイワイ歩けたらなぁ。と想っています。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします!

  5. コメント

    「じょうぶなこども」という言葉の定義に「かかるべき病気にかかっておくこと」という一例をお話しして下さった園長がいました。新年からのまさかの状況に当惑する中、弱くなって病にかかるのではなく、病になって強くなるという先生のお話を思い出し、これもまた意味のある必要なことなのだと受け入れようと思っています。

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