吉田松陰は至誠と実行の人物であったことはよく知られています。その生涯において、勇気を出して普通の人がやらないような非常識なことにも果敢に挑み周囲を感化していきました。
その実行に至るプロセスは突然の思いつきで衝動的に行動するのではなく、その裏付けに日々の小さな実行の集積があったことがその言動からわかります。自らを狂人であるとし、常識に囚われずに志を全うする意志の強さには感動します。その遺した言葉には、徹底して実行を重んじた生き方がありました。
「一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある。」
「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。」
「学問の上で大いに忌むべきは、したり止めたりである。したり止めたりであれば、ついに成就することはない。」
その実行の背景には常に至誠がありました。
「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。」
「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。」
どの言葉も、生きた学問を実践していく上で参考になるものばかりです。自分で決めたことは自分自身と約束したことです。その決めたことに正直であるからこそ、継続を怠らず真心を盡していくことができます。
自分自身に嘘をついて誤魔化していけば、自分自身との付き合いに信頼ができなくなります。自分との信頼を結ぶことが世界への信頼にもなっていきますから如何に自分が信じたことを積み重ねていけるかが人生においてとても重要であることがわかります。自分への信頼関係は、この至誠と実行によってのみ積み上げられるからです。
そして信じたことを信じたままに実践を続けて内省によって自己との対話をしながら改善を続けていくことで本当の自己を確立していくことができます。自己を磨き、魂を磨くことはこの世に生まれてきたものすべての道であり使命です。
引き続き、子どもたちに人生を遺せるように今を大切に歩んでいきたいと思います。
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「至誠に生きる」とは、「人を相手にする」のではなく「天を相手に生きる」ということでもあるでしょう。誰かと比べた優劣の問題、そんな「相対的」なレベルの問題ではなく、天を相手にした「絶対的」な態度、それが「自分との約束を守りながら生きる」ということでしょう。「やるべきこと」を見極めて、丁寧にやり続ける。そのような「独りを慎む世界」を確立してこその「至誠」なのかもしれません。
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昨日の「三尺離れて師の影を踏まず」ではないですが、共に学ぶ上で「生きた学問」がどれだけ大切かということを改めて感じます。今を生きる上で、先人の智慧や経験を学びながらも現代に活かせなければ本当の意味で学んだことにならないと思うと、今だったらどうするかと、自分自身に問いを持って取り組む大切さを感じます。同世代で亡くなっていった志士たちを思うと、新しい年を迎え改めて心新たに取り組んでいきたい心持です。
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実行するための学びということを松陰先生は強くおっしゃられていますが、同時にその人の動機をしっかりと捉えている方でもあると感じました。やるのはその人であり、その人の人生なのだから、その人の動機を大切にしてあげることが主体性を引き出したり、信頼関係を結ぶことなのかもしれません。自分とも同じことが言えるようにも感じます。もっと人を見る目、眼差し、思考を整えていきたいと思います。
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松下幸之助さんは「万物は生成発展している。生成発展が自然の理法である」と仰いますが、人間にとって自己を磨き魂を磨き続けることは自然な姿なのだと感じます。いかにそこからはなれないか、素直なままに本心のままに実行し続けられるかは一番難しくもありますが、捉われなくなるまで磨き続けていきたいと思います。