一昨年より、樽や桶を扱うことが増えましたがそこには箍(たが)がかかっています。この箍とは、樽や桶の周りにはめる、竹や金属で作った輪のことでその輪を締めたり緩めたりすることで中のものが出てこないように調整しているものです。
よく箍が外れるという言葉もありますが、あれは緊張がゆるみすぎて羽目を外し過ぎたときにも使われます。この羽目とは、馬を制するために口に噛ませる「馬銜(はみ)」が転じたものとして使われ抑えがきかず調子にのることをいいます。
この適度に締めるという技術は、まさに人の生きていく上での大切な教えでもあり樽や桶を使っているとその器として何を大切にしていけばいいのかを実感するものばかりです。
人間は緊張しすぎてしまうと自他に厳しくなりすぎます、しかし緩みすぎると箍が外れて周囲に多大な迷惑をかけてしまいます。ちょうどいい具合になっているとそのものを長く保つことができます。ここにも智慧があります。
樽や桶については、湿気と乾燥を繰り返し箍が緩んできます。湿気の時は水気によって引き締まっていても木が乾燥すると箍が緩んでしまいます。外れてしまうとバラバラになるので常に湿気を保てる状態にしながら保存します。
以前、桶職人にアドバイスしていただいたのは湿気過ぎず乾燥し過ぎないところで桶を保存することだといわれました。太陽に晒されると壊れ、水気が多すぎると腐敗するからです。また風を適度に通してあげられるところで、あまり風が強すぎるところは乾燥し過ぎるからよくないともいわれました。
現在、聴福庵の離れには縦の風が流れるように土からの水分が屋根を抜けていくようにつくられてます。適度な湿度と風が常に流れ続け桶や樽には最適な環境とも言えます。昔の人は道具を大切にすることで、自分の生き方の何が間違っていたのかを教わらずに気づいていたように思います。便利にならなくてもむしろこのままでいいと、先祖が智慧を子孫へと遺してくださったようにも思います。
締めすぎず緩みすぎないというのは、入れ物や器を大切に修繕し続けていくということでもあります。物の扱いに長けた人は、自他の扱いにも長けていきます。人が物をつくりますから、昔のものが価値があるのはその人格を持った人たちによって物がつくられてきたからです。
物から学び直し、視野の広い全体最適な心の余裕や余白を持て思いやりを優先できる自分を磨いていきたいと思います。
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「タガが外れる」と、それまで保っていた秩序が乱れますが、「タガは外れるよう」に作ってあります。そうでないと、環境に応じた微調整ができませんし、壊れたときの修繕もできません。大事なことは、「タガを外さない」ことではなく、「タガの緩み」に気づくことであり、外れたら「すぐに直すこと」ではないでしょうか。
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「箍が外れる」という言葉も学校で意味は習った記憶があります。しかし、実際に桶を見たり、箍を緩めたりというのは、桶屋さんへ行き始めて見た光景です。かつては日常生活に密着していたそのことを教訓としていたのだと思いますが、今の生活においては目にする機会もありません。道具が持つ教訓に満ちた言葉を1冊にまとめたら、面白い冊子が出来上がるかもしれません。聴福庵には昔ながらの道具も多いからこそ、そういったことをまとめていきたいと思います。
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日本には四季があり、乾燥も湿気も共に味わえる国だからこその智慧なのだと感じました。寒暖のどちらも味わえるのはタガのお陰かもしれません。
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自分自身のタガとなっている存在に気付ける事が大切なのだと感じます。内省の日々でその存在の有り難さを感じて行きたいと思います。
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研いだり磨いたリ修繕したり、そこに人が自ずと成長していける仕組みがあることを感じられる感性は面白く、物を通して自覚していける世界は豊かであることを感じます。人が人を教え込もうとする時はどこか傲慢になったり不自然なチカラが働くおそれがあるように思います。自然を手本に省みる感性を高めていきたいと思います。