経済や経営を考えるとき、二宮尊徳にとても有名な言葉があります。それは「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」というものです。これはホンダの創業者本田宗一郎が、「理念なき行動は凶器であり、 行動なき理念は無価値である」ということにも通じます。
つまりは道徳とは、人が生きる上での目的そのものでありそれがない経済だとすれば個人の欲望そのものであるから社會にとっては罪悪であり、理念がないのにいいことばかりいって経済にしないことや、いいことをやっているように後から帳尻を合わせてもそれは単なる寝言ほどの取るに足らない戯言であるといいました。本田宗一郎は、個人の欲望の経営は凶器になっているともいいます。そして実践することがないのなら理念などあっても無価値で無意味であるといいます。
これは理念経営を行う上で大切に指標になります。リーダーは何をもって甘えているかといえば、それは単にサボるとか怠けるとかの話ではありません。目的に対して真摯に実践を怠らないのであればそれは甘えていないのであり、もしも会社が利益がでていくら繁盛していても理念と実践がないのならそれは甘えているともいいます。
甘えを断つというのは、目的に生きるということであり、理念を優先し自分の生き方を変えるということです。人生は自分個人や私心、私利私欲のためにあるのではなく、それよりも大切なもののために自分を優先できてこそ社會の中で本物の自分を自立していくことができます。
みんな人々は目的を持つことで心を定め一生を歩んでいきますから、つまらないことにいつまでも囚われないためにも理念と実践はよりよい人生を充実するために欠かせない両輪であろうと思います。
二宮尊徳は人生の指標として下記のような遺訓を弟子たちに語ります。
翁曰く
人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ
学んで道を知らざれば、学ばざると同じ
知って行うこと能はざれば、知らざると同じ
故に、人たるもの、必ず学ばざるべからず
学をなすもの、必ず道を知らざるべからず
道をしるもの、必ず行はざるべからず
何が生まれていないか、何が学んでいないか、何が知らないことか、本当の人生を歩みなさいと語り掛けます。
道は実践によって顕れ、学は道の実践で顕れ、生は学の実践で顕れる。つまりは人生は実践することではじめて為るということをいいます。
この「実践」というものの価値にどれだけの人が気づいているのだろうかとも思います。実践とは、目的をもって行動するということですがどれだけ日々その初心を忘れずに行動できているかと内省することで自分の人生を生きることを思い出すものです。
心の荒蕪は、今では心の渇きとして人々の中に苦しみが宿ります。その苦しみを少しでも和らげ、心田を開発できるように一円観、一円対話を世の中に弘めていきたいと願い実践を継続していきたいと思います。
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「師の悟り」を語っているうちに、「自分も悟っている」ように錯覚してしまうことがあります。「人格者の言葉」を語っているうちに、「自分も実践している」ように錯覚してしまうこともあります。「言葉」ではなく、「実践」という生き方のなかに、「自分が今どこを歩いているか?!」を確認しておかなければなりません。「経済なき道徳」と「行動なき理念」には、常に注意しておきたいと思います。
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大河ドラマ『西郷どん』の再放送を観ながら、どうしてあの当時あれだけでの逸材が育っていったのかと観ていました。目的を持って行動するとは、すなわち志だと思うと、どうしたら育まれるのかと感じます。高校生になって自分はやっと、誰のために何をしたいかが見えてきましたが、日々を振り返ると目的からの振り返りというよりも、やったことに対しての振り返りになっていることを感じます。昨日のコメントにあった『「積み重ね」というのは、「とりあえず続ければいい」というものではありません。』とあるように、1回1回を大切にしていきたいと思います。
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悟ったり学んだりということよりも、目の前の一日を誰かの役に立てただろうか、助けになれただろうかと振り返るとき、学びばかりの日々は危険だと感じます。自分自身の日々の過ごし方がどうなっているだろうか。実践や行動を前提に理念を目指しているだろうか。しっかりと振り返って正していきたいと思います。
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行動が凶器のようになって初めてそれが本当に理念に基づいたものであったかを省みることがあったり、理念が無価値に感じられるほど現実が異なっていることを感じて初めてそれが行動を変えていく力になることもあるように思うと、素直な心で内省を継続していくこと、そして行動していくことを怠らずに励んでいきたいと思います。