数年前から鹿児島に一年に何度も訪問するご縁があり、西郷隆盛や郷中教育のことを深めています。西郷隆盛については今年は大河ドラマの主役ですから、いろいろとわかることも増えていくと思いますがどのような人物であったかはその足跡や言葉を自分の足で辿ってみなければわからないものです。
頭でこうだろうといくら思っても、歩いてみないとわからないものもあるし、いくら知識で補おうとも体験してみなければわからないものもあります。大事なのはその人の生き方に触れることで、どのような心境であったかを深く共感しその生き様を自分に投影し心を磨いていくことのように思います。
その西郷隆盛が尊敬した人物に、山岡鉄舟がいます。この二人を観るとき、私には同じ生き方をする二人に観え、志を貫く生き様には学ぶことばかりです。その山岡鉄舟のことを西郷隆盛はこう評します。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
こういう西郷隆盛もまた同様な生き方をしていたからこそ、その山岡鉄舟の生き様をみて共感したのではないかと思います。無心無私の生き方は、何にもとらわれず無為自然であり天道真理に沿っているからこそ人知を超えたものに命を懸けられるということなのかもしれません。
人は誰しも、自分の命を惜しみ、名誉を求め、地位や権力、お金などの影響を受けるものです。それは欲があるかないかの話ではなく、志で生きるかどうかの覚悟を持っているかどうかということです。無欲だからいいのではなく、志を貫く信念があるかどうか、損得や営利などで判断することがない人は扱いが難しいというのは理屈ではなく理想を求めているからです。大業や大志を実現しようとするからこそ、艱難が訪れますがそれを共にできるものは志が高い人たちのみです。
同時代の高杉晋作は、「艱難を共にすべく、富貴を共にすべからず」といいました。志は命もいらず名もいらず、官位も金もいらないからこそ共にできるということでしょう。
山岡鉄舟は、最後まで清貧忠義を貫き弱いものを助け強いものをくじく生き方を貫きました。最後に、無刀流を極めた達人の山岡鉄舟の箴言です。
「道は千載不滅だよ。いかなる大敵でも、道には勝てぬ。」
いかなる大敵でも、道には勝てぬ。これはとても勇気をいただける言葉です。世界がどのように変化して大きな壁が立ちはだかったとしても道には勝てないのです。道を継ぐことは志を継ぐことですから、道と志を子孫へ伝承していきたいと思います。
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「志を立てる人」はたくさんいますが、それを「貫ける人」はそう多くはありません。それは、「信念」の問題でもあるでしょう。「信念」とは、妥協しない生き方と言ってもいいかもしれません。「大事なことはわかっているが、なかなか現実には難しい」などと言っているようでは、事は成りません。「生きやすさ」に惑わないように、「信念に生きる尊さ」を再確認しておきたいと思います。
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維新の志士たちの話には胸が熱くなるものがあり、今回の大河も楽しみにしているところです。そしてこれを自分自身に置き換えて考えた時、改めて身の周りにも志高くことを成し遂げようとしている方が多くいることを感じます。憧れが次への行動の原動力になりますが、憧れるばかりではなく自分自身も歩みは遅くても一歩ずつ踏み出し、今の時代を生きていきたいと思います。
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人それぞれに生き方がありますが、生き方に悩むのは時代でもあるのかも知れません。子どもたちには、自分自身の道を歩めるためにも、自分自身がどんな生き方をすればいいのか。それもまた、自分の道の歩み方から残していけるものを追求して行きたいと思います。
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「言葉というものは自分の体をそれにぶつけてみないことには真の意味というか味わいは分からないものなのです」と森信三先生は仰っていました。偉人の言葉などに触れると発奮するものは多くありますが、身をもってそれにぶち当たってみてはじめて近づけるものだと思えば、今年は実行を何よりも大事にしていきたいと思います。