人は何か大切なことを伝える場合は、自分の中にあるものを伝えていくものです。それは単に頭で考えた知識ではなく、その人が乗り越えてきた体験や、或いはまだ苦闘中の複雑な思いや、一緒になって歩んでいこうといった願いだったりします。心は籠めない行為はすぐに露呈しますから、真心を籠めることは常に全身全霊で行うものです。
この「伝える力」というものは、心の力です。心は何を感じて、心はどうしたいのか、それを素直に発揮するためには心の命じるままに行動していかなければなりません。心が思ってもそれを無視して保身に走ったり、楽な方を選んだり逃げたりすれば心はいよいよ出てきません。そのためには、勇気が必要ということはブログでも書きましたがもうひとつ大切なのは自己との対話、内省ということになります。
人は自分の心を磨くのに、自己との対話があります。自己との対話とは、自分の心に向かって内省を続けて深めていくことで本当は自分は何を思ったのか、自分は心から伝えて行動したかと真心を確かめていくのです。
そうやって自分の内面から出てきたものを、そのまま素直に言葉にして行動していくことが「伝える力」を伸ばしていくように思います。相手の立場にたって物事を考えて、どうやったら伝わるかという技術を磨くことも大切ではありますが心から出てくるものを伝えるにはまさに全身全霊の真心が大事です。
全身全霊とはつまり自己が完全に一致しているありのままの心、あるがままの姿、素直な自分自身でいるということです。自分を偽ってよく見せようとしたり、よく見られようとしたり、立場を利用したりするのではなく、相手を思いやり真心で信じたままに行動することが「伝える力」そのものの正体だと私は思います。
そういう人に出会えることは人生の仕合せです、そういう自分に出会えることもまた仕合せです。人生は二度とないのだから、出会ったご縁を大切に色々な人と伝え合って絆を深めていきたいものです。
伝える力を磨き、子どもたちのお手本となるような全身全霊の真心を発揮していきたいと思います。
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拙い言葉でも、泣きながらで言葉になっていなくても、伝わってくるものがあります。それは想いを受け取っているからで、話が上手いかではないことを感じます。一時期、プレゼンの本などを手に取ったりしたことがあります。技術として学ぶこともたくさんありました。ただ、赤ちゃんを見ていると何かを訴えたいときは、一生懸命訴えかけています。赤ちゃんから習い、まずは伝えたい気持ちを大事にしていきたいと思います。
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「伝えよう」とするときには、「ぜひ伝えたいもの」が必要ですが、実際に「伝わる」のは、その「熱意」であり、「まごころ」であり、「祈り」です。つい、一所懸命に伝えようとして力が入ってしまいますが、冷静に「何が伝わったか」「何を受け取ってもらえたか」ということを確認する必要があります。独り善がりにならないよう内省を深めたいと思います。
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自分の家の子どもにだったらと考えると、保育園でも自宅でも安心できる人々に囲まれていたり、信用だけならず、信頼できると実感している環境がなければ、思いがあっても不安を感じ、逃げたり守ったりします。また、反対に強い動機があると個性を超えて、動くときもありますが、やはりそんな時は周りの友達からの見守りがあることを、友達や先生から教えてもらう事が多々あります。真心を阻む理由は自他ともにそれぞれにあるのだと思うと、子どもを変えようと思うより自分なのかと、感じますがとても難しく自分にも不安が出てきます。見守る三省や、松蔭先生のように長所も短所も愛すという事や活かすという事が中々実行できている実感が自分にはない、不安なのが現状です。自分への眼差しもよく見直したいと思います。
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言行不一致、本心や魂との不一致の状態は苦しいものではありますが、それも幸いなことに偽ることが出来るほど器用な人間ではないからこそそのまま流さずに感じられる感情なのだと思います。内省して今の状態として受け入れていけば、これもまた伝える力のもとになるのだと、自他の本心を守っていくためにも全ての機会を活かしていきたいと思います。