人間は誰にも「思い込み」というものがあります。この思い込みは、過去に何かを体験した際にきっとまたこうだろうとその体験を思い出しては結果を先に決めつけてしまうことです。
先日、足を痛めすぐにまた元通りに歩けるようになろうとリハビリをしたところ歩くたびに激痛が走りそれを何度も繰り返しているうちに右足を出すことが怖くてビビッて尻込みしているうちにまったく足が出なくなりました。
一度そうやってまたきっと痛いだろうと怖がる心やビビる感情に苛まれると、どうせまた結果は同じだろうと先に答えを出してしまって思い込んでしまいます。それから月日が経ちもうすでに治っていたとしても、無意識的に心は感情と共に痛みを防御しようとしますから痛くなくても痛い感覚が思い出すのです。まるで古傷がいつまでも痛むように、治っていてもそれが痛いという感覚がずっと残ります。
そしてこれは単に体のことを言うのではなく、心のトラウマや古傷もまた「思い込み」によって痛みを感じているのです。
このように過去に何らかのことで心が傷ついたり辛いことがあったり、感情にインプットされた様々な痛みはいつまでも記憶の中に「思い込み」として残ります。それが邪魔をして怖くなり足が前に出ない、前に進めないという人は本当に多くいます。好奇心が旺盛な人はその体験を乗り越えてそれでもやってみたいという熱情が湧いてくるのでしょうが、いざ本番になると急に足がすくんでしまいます。
人が「背中を押してもらいたいや背中を押されたい」という願望は、この「思い込み」を乗り越えるための勇気をくださいという切望でもあります。
先ほどの足でいえば私の場合は出なかった右足を痛いかどうかではなく「勇気」の方に意識を集めて挑戦すると足が前に出て階段を無事にあがることができました。思い込みに意識を持っていかれる前に、勇気に重心を置いてみるという話ですがこれもまた単に体の話ではありません。
人間は過去の痛みを乗り越えるときもっとも大事なことは「勇気を出す」ことです。スポーツ選手が怪我を乗り越えて優勝したり、友情や愛情が困難を乗り越えて結ばれてるように、人間はそれみて感動し魂が揺さぶられます。それはすべて勇気によって得られるものです。今までの体験を乗り越えて新しい体験で過去を刷新し上書きするには勇気を出すしかありません。同様に先ほどの思い込みを抜けるにも勇気しかないのです。
ひょっとしたらまた傷つくかもしれない、もしかしたらまたあの時のような状態になるかもしれない、「それでも勇気を出して前に進もう」という気持ちこそが未来を変えていくのです。
私たちはそういう勇気を出したいと思っている人たちに寄り添って一緒に帆走したい、背中を押してもらえれば歩めるという人たちを心から見守りたいと、聴福人の実践を続けています。
人はみんな勇気を誰かに分けてもらって元気を出します。誰かの勇気が誰かを助けるのだから自分から勇気を出して殻を破ればそれだけで周囲の力になります。大変だけど一緒に思い込みに立ち向かおうとする仲間に出会えることはとても仕合せなことです。
その思い込みを捨てる練習は、「聴く」実践によって行われます。思い込みの強い人は誰の話も聞きません。痛いから怖いからどうせ無理だと最初から諦めているのでしょうが、そこを勇気を出して深く聴いてみる、きっと何か深い理由があったのだろうと聴く勇気を出してみること。話は最期まで聴いてみないとわかりませんから、相手を疑いから入る前に信から入る勇気を振り絞って自己との対話に挑戦していくしかありません。
聴福人の役目はそういう人たちが安心して皆で認め合って聴き合う場を醸成していきます。人生は自分らしく生きていくためにも、乗り越える力、英語ではリジリエンスといいますがこれによって勇気を磨くのです。
引き続き、勇気を出せる存在になれるよう私自身聴く実践を高めていきたいと思います。
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体験からくる「思い込み」は、なかなか拭うことができません。誰かに背中を押されて「上書き体験」をするか、価値観を入れ替えて「心を初期化する」かしないといけません。しかし、近くに「勇気を出している人」がいてくれると、その勇気に励まされることがあります。そういう人を観察し、そういう人の言葉に耳を傾けられるようになると、意外とがんばれるものです。私もそういう仲間にいつも助けられています。
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背中を押してもらえるとそれだけで安心感があります。そして、前からは先人の生き方が道筋を照らしてくれ、そして、今ここに自分がいることを感じます。前からも後ろからもたくさんの応援を頂いていると思うと、思っている以上の力が湧いてきます。たくさんの方に支えられ見守られていることを忘れず、感謝の気持ちを大事にしていきたいと思います。
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受け容れられていると安心して認め合える場。せっかく戴いたいのちですから、そういう場に生まれてきたいですし、次のいのちを受け留める場がそういう場であるようにいのちを使って生きたい。
生まれ来るいのちは、おそらく無条件に受けとめてもらえると信じ切って、生まれ落ちて来る。生まれ落ちる場に準備を迫る。生まれ落ちるのも勇氣なら、その信を受け留める準備をすることも勇氣なのだと思わされます。そうやって自らに信を置くことと、新しい命の信に応えることが同時にすすむ。
この相互信頼を甦らすための仕組みが、聴福人という実践なのですね。勇氣を奮って自らに聴き、まわりの人に聴いてまいります。
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自分よりも大切なものを思う時、思い込みを捨てられるように感じます。仲間やパートナーやお客様。そういった存在を感じられれば感じられるほどに、その思い込みを捨てられるように感じます。させて頂いている。して下さっている。そのお陰様を感じられる自分自身であるためにも、あまり過去や自分をきにしないでいたいと思います。
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致知に肝臓がんを発症した山下さんの記事が載っていました。「どん底」の状態を何度も経験しながら、それでも自分自身の声をよく聴き、体験の意味、人生について前向きに捉えている姿には、人間の魂が持つ強さが感じられました。何事にも意味があることを忘れず、与えていただいたものをしっかりと受け取りながら、自分にしかないこの道を歩んでいきたいと思います。
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120年の歴史を持つこの『聴福庵』にとって、この2年間は大きな転機となる時間だったのではないかと思います。かたや近所の古民家はあっという間に解体され店舗に変わってしまいましたが、様々な御縁のお陰で今こうして甦生され私たちだけでなく子どもたちの未来に繋がる希望を与えてくれているのは有難いことだと感じます。関わった人たちの人格が宿っていくような、そんな家との関係性をこれからも大切にしていきたいと思います。