昨日は聴福庵の甦生で大変お世話になっている大工棟梁とそのご家族に来ていただき、聴福庵での暮らしとおもてなしを体験していただきました。もう一年半以上も一緒に古民家の修理や修繕を行ってきましたが、いつも作業やお仕事ばかりではじめて一緒にゆったりとこれまでのプロセスを振り返る時間を取ることができました。
和ろうそくの灯りの中、二人で盃を交わしながら深夜までお酒を吞みましたが棟梁からは改めて「このような家を手懸けることができ大工冥利に尽きる」と仕合せな言葉もいただきました。まだまだ完成したわけではなく、修理や修繕は暮らしと共に継続しますからこのように家を中心に素晴らしい出会いやご縁があったことに感謝しきれないほどです。
人生はいつ誰と出会うか、それによって運命が変わっていきます。年齢も人生も離れていた人が何かの機縁によって出会い助け合う。そしてそのご縁によって豊かで仕合せな記憶を紡ぐことができる。志を共にする仲間が出会えるということが奇跡そのものであり、その数奇な組み合わせにより新しい物語が生まれます。
聴福庵の道具たちはすべて時代的に古いものを甦生して新しく活かしているものばかりですがその道具たちには職人さんたちの魂が宿っています。みんな人は何かを創りカタチを遺すとき、そこに自分の魂を削りそして籠めます。それは時代を超えていつまでも生き続けているものであり、その物語は終わったわけではありません。
その物語の続きを創るものがいる、魂を受け継ぐものがいる。そうやって今でもこの世に存在し続けて私たちと一緒に記憶の一遍を豊かに広げていくのです。またその魂は、同様に同じ志や思いをもっているものたちと引き合い弾き合わせてご縁を奏で波長を響かせていきます。その空間にはいつまでも楽しく豊かな記憶が、志を通じて甦るのです。それが暮らしの醍醐味なのです。
子どもたちに譲り遺していきたい暮らしとは、このように昔から続いている魂を大切に受け継いでいく勿体無い存在に対する尊敬の念です。ご先祖様たちの重ねてきた人生の延長線上に今の私たちがあるということ。それを決して忘れないでほしいと願うのです。
そのためには、それを実感できる場や存在、生き方や生き様などを与えてくれる大人たちの背中が必要なのです。今、私がここで感じている仕合せをどのように今の時代の子どもたちに伝承していくか、まだまだ未熟で途上ですがここで満足せずさらに一歩前に踏み出していきたいと思います。
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120年という古民家の年月と共に、最初にあの家を建てた棟梁がいて、今の棟梁に繋がっていることに嬉しさを感じます。夏の暑さや冬の寒さに耐え、家の傾きをも乗り越えてきたことも、初代の家主や棟梁の想いがあってこそのものなのだと感じます。家を建てることは自分には出来ませんが、棟梁のようにいつも柔かに、家を大事に、家が喜ぶような暮らしを大事にしていきたいと思います。
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今は昔ほど生活するという事に於いては社会が近代化し、厳しさを感じない時代になっていることを昔の暮らしを一部体験する中で感じます。しかし、同時に人生に於いては昔よりも今の方が厳しさを感じる部分もあるのかもしれません。それはやはり、暮らしの道場を失って近代化の中で生きるという事の代償が社会での道場のようになっているのだと感じます。暮らしの道場は、人生の早いうちから家族が一人一人に寄り添いますが、社会の道場は突然にやってきて、個別には中々寄り添えません。暮らしを失う事の代償、暮らしの中にある育ちの仕組みを失う代償を学んで活かしていきたいと思います。
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「聴福庵」にとって、この棟梁との出逢いは本当に幸福なものであったと感じます。このご縁は、人との縁であると同時に、家との縁でもあります。それは、この家が建つときからのご縁のような気がします。このようなご縁の繋がりに、そして、このご縁をきっかけにして次々展開される出逢いに心より感謝したいと思います。
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120年の歴史を持つこの『聴福庵』にとって、この2年間は大きな転機となる時間だったのではないかと思います。かたや近所の古民家はあっという間に解体され店舗に変わってしまいましたが、様々な御縁のお陰で今こうして甦生され私たちだけでなく子どもたちの未来に繋がる希望を与えてくれているのは有難いことだと感じます。関わった人たちの人格が宿っていくような、そんな家との関係性をこれからも大切にしていきたいと思います。
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いま自分たちが毎日いただいている食べ物のどれひとつとして他の人の手を経て来ないものはありません。タネを育て、蒔き、収穫し、加工し、運び、、、。同時代の今で考えてもどれだけの人の手をおかげかと、しかもそれが過去の人びとの営みから続けられているおかげであり、今の営みが次の世代の営みに受け継がれていくことにも思いを馳せます。
この受け継ぎは衣食住すべてにあるのですね。暮らしの醍醐味といわれて、この受け継ぎのバトンリレーの中にいる時かと、今を味わいます。この贅沢を味わい貫く強さを養ってまいりたいと思います。