先日、あるジャズシンガーの方から聴福庵で生演奏をやってみたいというお話がありました。古民家の場を使った音楽というのは、私も以前から興味があり改めて古いものと音との関係を少し深めてみたいと思います。
音というものは空間で響くものですがこれはお互いの関係性によって音楽が奏でられるものです、例えばある物質に別の物質を当てて音を鳴らすときお互いの物質の特性によってその鳴り響く音が変わります。私がよく使っている砂鉄の鉄瓶などは、玉鋼の火箸で軽く触れるとキーンという高音が長く響き渡ります。この時、お互いの音はそれぞれの性質によって顕れてきます。
そして不思議ですが、経年変化している古いものは丸みがある音が出ます。これは古木や柱などを軽く叩くとわかりますが、ずっしりと深みがある音が出ます。時間が経ったものは相応の音を響かせます。科学的には時間が経過した古いものは木に含まれる水分が抜けて音の出るスピードが速くなるからといわれますがそれだけではないことは古民家での暮らしをしてみればわかります。
例えばおくどさんの中で、竈やまな板で料理をしたりかつお節を削る音はその空間に響き独特の調理場の音を奏でます。そこにはもちろん古い道具たちが響き合い、お互いにその音を聴いているかのような空間が生まれうっとりしますが、使い手の人間性や人柄も道具との相性によって変わってきます。同じかつお節を削っている音であっても、技術や人間の個性よって差が出てくるように古い道具たちにそれに合わせて音を奏でます。
道具も古いものが鳴らすのは、均一ではない個性を持っているからです。ホームセンターで買ってきたような安い包丁は、誰でも切れるし扱えますが個性がありません。均一化されて平均化されることで誰でも使える道具にした分、そのものの特徴もなくなりますから音の響きはありません。古い道具は使い手が試されますから、使い手が道具の特徴を見抜き腕を上げて使い調和させていきます。この調和するときの響きこそ音楽であり、その音楽が周りの古い道具たちとの調和を引き出していくように私は思います。
こんなことを非科学的といわれるかもしれませんが、腕の善い老練の職人さんが昔の道具たちを用いて作業する音は、心に深く響き感動します。音の響きというものは、決して現代の科学だけでは解明することはできないように思います。
そして話を戻せば、古いものは周りと調和していきます。調和した響きは環境や空間と響き合います。つまりは新しい建物で聴く音と、古い建物で聴く音は異なります。さらには風土に適った材料で出来上がった場と、風土に適しない材料で出来上がった場所では水分量の関係もあり、音の感覚がズレていきます。私たちはもともとこの風土の中で音楽を聴いて耳を発達発展させてきましたし、そういう微細な音を聴き分ける繊細さが備わっています。
箱庭にある、鳥の声や雨の音、鹿威しの音など、空間を伝わっていく音響を感じ取ります。そして古民家には、その主人が日本的精神を持ち丁寧に暮らしているのならそのどれもが調和するもので整っているはずです。
新しい建物であれば、楽器を鳴らしても単体で響きます。しかし古い建物で調和されているものであれば周囲と響き合って調和する音を奏でます。古民家で音楽をすると感動するのはこの調和音が聴けるからです。
先日、杉並区にある普門館が耐震構造をクリアしていないため取り壊されるという話を聞いてとても心が痛みました。あの空間で響き合った調和は、子どもたちに譲ればどれだけのことが伝承できただろうかと思うばかりです。
引き続き、復古創新を続けながら子どもたちに貴重な文化財を譲り遺していきたいと思います。
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波の音や小鳥のさえずりなど心地よいと感じるものを、「f/1ゆらぎ」と言うそうです。聴福庵にあるものは、どれも自然物を使ったものだからこそ、そこから出る音もこのゆらぎが関係しているのかもしれないと感じました。物と物と、音と音が反響し合うと思うと、聴福庵にはどんな音色が響くのだろうかと今から楽しみです。聴福庵に人格があると思うようになったのは、アニメ『ワンピース』のメリー号の最終回を観てからです。聴福庵と一緒にたくさんの音を奏でるいることを忘れず、実践を積んでいきたいと思います。
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虫の鳴き声が、外国人には「雑音」にしか聞こえず、「虫の音」として心地いいものに聞こえるのは日本人の特徴であると聞いたことがあります。また、ベテランの職人は、その道具の音で仕事の質を見分けるとも言います。自然の音や調和の音を繊細に聞き分けられる耳を持っていることに、日本人としての誇りを感じます。
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「若者たちが音楽を愉しむのは一般的なことだった。それも『血を騒がせ、死を煽動する前触れ』としてのラッパや太鼓の音楽ではない。哀しくも優しい琵琶の調べであり、猛り狂う血気を鎮め、血の匂いや殺戮の光景から遠ざけるための音楽である。」若い頃に武士道の一節を読み、日本人にとっての「音」とは一種独特なものがあるのだということを感じました。物憂そうに聴こえる日本の音楽もその意味を知ると誇らしく思えます。根底には「和」があること、周囲と「調和」する音を愉しむ心を大切にしていきたいと思います。
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決められた楽譜の通りに弾くのではなく、皆で決めたコード展開の中でそれぞれが自由に奏でて作り上げていくハーモニー。同じ曲でも同じ内容にはならない。jazzという音楽はとても保育に似ているように感じます。そんなjazzと聴福庵との出会いというのも何か繋がりを感じてしまいます。私自身も何かの正解のために自分を準える生き方ではなく、その時その時の最善を仲間と共に奏でられる生き方をしていきたいと思います。
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大切にしたいのは、単なるモノではなく、大自然に育まれた天然物が材として人の手を通してカタチづくられ、人の手を介して伝わってきたモノなのだと教えられます。
翻って、心ある人の手を介して、単なるモノが、大切に伝えていきたいモノに育まれる、その経緯に、自分がいかに関わっていけるかが、自分の人生の豊かさにつながるのだと気づきます。
心あるモノを先人から受け継いで、自ら味わい、次の世代につなげてまいりたいと切に思います。