本当の自分が何を望んでいるか、それが初心です。しかしそれが次第にわからなくなり、気が付くと手に入れたいものや欲しいものにすげ換ってしまいそれを夢だといい出すのは本当の自分が見えなくなっていくからです。
ほとんどの人が、やりたいこと=夢になっていますが本来は初心=夢であります。自分の夢と他人の夢、その夢の違いは揺るがない初心と、他と比較されて得た相対評価の時に揺らいでしまう夢です。
例えば、ある人に自分のやりたいことが何かと尋ねると、サッカー選手とか、コンサルタントとか経営者とか、保育者とかいろいろと返答が帰ってきます。さらには仕事内容や業務内容、趣味の話を仰る方もいます。しかしそれは初心ではなく自分の願望や欲望のことです。それになってどうするのか、何のために誰のためにそれをするのかと聞くと出てこなければそれは初心ではありません。
私の仕事の場合は、子ども第一義を理念に掲げ、子どもを信じきり、子どもの手本になり、子どもが憧れる生き方をし、子どもに譲りたい社會を復古起新しようとしています。そうなってくると、将来は何の仕事をしているのかよくわかりません。ひょっとすると、今と仕事内容が異なっているかもしれませんがもしも仕事内容が目標で入った人がいれば辞めていくと思います。しかし初心や目的を忘れない人は、職種や仕事内容がやりたいことではないことはすぐにわかります。ひょっとしたら全く今とは異なる仕事をしているかもしれません。何のためにと誰のためにが変わることが問題であって、職種が変わることが問題ではないからです。
変化していくというのは、自分が初心や目的を守り続けていくということです。いつまでも自分の願望や欲望や固定化された思い込みに囚われ、他人の夢を追いかけ、自分の本当の初心を蔑ろにしてしまえば変化が止まってしまうものです。
自分を変えていくというのは、初心や目的を換えないために自分の方を変え続けて成長していくということです。初心や目的を換えていくら成功が手に入ったとしてもそれは一時的に自己満足を得たとしてもすぐに空虚感が訪れます。それも人生ですから、良し悪しはないのですが一度しかない人生を何に使うか、自分のいのちを何に用いるかはその人の決心と覚悟次第です。
初心や目的が定まらない間は、自分が変わらない方法ばかりに目移りしますが自分を見失うときこそ他人の話に耳を傾ける素直な心を持ちたいものです。仲間や同志は初心を忘れさせない存在であり、本当の自分を大切に見守ってくれる存在です。
子どもにとって自分を大切にする自分を背中で見せていきたいと思います。
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「仕事を選ぶ」というのは、選んでいるようで「選ばされて」います。単に「振り分けられている」と言ってもいいかもしれません。「初心や目的」は、本来、もっと主体的でオリジナルなものです。「三人のレンガ積み職人」の話がありますが、仕事を「職種」で語らず、日頃からもっと「目的」で語る必要があるかもしれません。
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これまであった仕事がどんどん、AIに取って代わっていくと思うと、尚更何のためにということは大切になことだと感じます。振り返れば、自分自身の就職活動は職に就くというだけでなく、働く心構えを確かめる時間でもあったと思います。必要な時期に必要なだけ時間をかけたことは、この先でも活きるものを感じます。
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理念とは玉ねぎの皮を剥いていった先にある芯のようなものという表現を以前学びました。今やっている業務や取り組みという表層に見える皮を剥いでいくと、一体何のためというものが少しずつ見えてくると感じました。どこまでも、表層に流されないためにも、自分自身を大切にするためにも、一体何のためにと立ち返ることを忘れない。今日の教えをしっかりと行動に変えていきたいと思います。
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指針の項目の整理をしている中で「自分の意見を主張するが、相手の意見も受け入れる」など、よく観ると大人でも容易ではないものがあり、あるクルーの「大人になって発達が戻ったのかも」という言葉に妙に現実味があり納得してしまいました。大切なものを見失わないよう子ども心を守れるような働きをしていきたいと思います。