内省こそ本物の人生

内省という言葉があります。内観ともいい、英語ではリフレクションとも呼ばれます。一般的には、自分の考えや行動などを深くかえりみることとだとされていますがこれは人生において何よりも重要で優先するものなのは間違いないことです。

なぜ内省が必要なのかを少し書いてみたいと思います。

内省といえば、論語に「子曰。君子不憂不懼。曰。不憂不懼。斯謂之君子已乎。子曰。内省不疚。夫何憂何懼。 」があります。これは孔子が君子は憂えず恐れることはないといったとき、弟子が憂えず恐れなければ、君子と言えるのでしょうかと尋ねた時、自分自身の心に疾しいところがなければ何を憂え何を恐れるものがあるかと言いました。

この時の内省をする相手は誰か、それは自分自身の本心、本物の自分ということです。しかしもしもこの本物の自分自身が何処にいるのか誰なのかもわからず、そしてどんな人なのかを知ろうともせず、自分勝手にきっとこんな自分だろうと勝手に自分の仮定した都合のよい自分を自分だと思い込んでいたらこの内省は決してできません。

内省がとても難しいのは、本物の自分が観えず自分の初心や本心を自分が知ることができないからなのです。

人間は本来、自分の本心、つまりは何のために生まれてきて何のために自分を使っていきたいかということを知っています。しかしそれが様々な我欲や願望、周囲の環境や刷り込みによって自分というものの本心が隠れて別の自分としてこの世の中で立ち振る舞っているうちに自分というものが分からなくなっていくものです。

松下幸之助さんが素直の百段を目指していたのも、そうした本当の自分自身というものの声を聴くために内省を続け、素直であったかと自分を戒め天命に従い使命を全うされていたように私は思います。

論語には、もう一つ「三省」という有名な言葉があります。ここには「曾子曰。吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎」とあります。これは私は常日頃から自らのあり方を省みる。人の為に心を動かされて忠ならざる事はなかったであろうか。 志を同じくする友の意に従うばかりで信ならざる事はなかったか。己の身にもなっておらぬ事を妄りに発して、人を惑わせていなかったと。つまりは真心のままであったか、本心のままであったかと常に自分を確かめながら歩んだのです。

本心や真心を初心とも言いますが、この初心のままの自分であるかどうかがもっとも大切なことでありそれは自分の行動や発言、経験したことを常にその場で振り返り初心に照らして本当にそのような自分でいられたかと確かめ続けるということです。

人間は本当の自分になることや、本来の自分自身になることが答えを生きることであり、いつまでも自分を探していても答えがあるわけではないのです。だからこそ内省が何よりも重要であり、内省なくしては本物の人生もまたないのです。

自分自身になることが本来の自立の本質であり、独立不羈、唯我独尊もまたその自分になっていくことです。心をかき乱されないように内省を続け、平常心のままに自分自身を自分自身で生きていく、そういう一生懸命な生き方の中で心を開き心豊かに自分の生を全うしていくことが自然の大道でもあり、人間本来の生きる道を叶うことだと私は思います。

自分に出会える仕合せと、自分でいられる仕合せ、まさに自分との邂逅が内省によって行われるとき人は本当の意味で世界を知り全体を知り、そして自分になります。

引き続き、子どもたちには内省の場の大切さを説きつつ内省の価値を伝承していきたいと思います。

  1. コメント

    内省という言葉をカグヤで知り、自分自身を省ることもそれまで、したこともありませんでした。小学生の夏休みの日記の宿題でその日やったことは書いたことはあっても、これは内省とは異なることを感じます。その時は気づけなくても、振り返って気づき感じることもあります。感情に捉われやったことの振り返りで、止まってしまうこともありますが、内省に新人もベテランもないと思うと、終わりのない実践だからこそ、少しでも本物に近づけるよう実践を積んでいきたいと思います。

  2. コメント

    「反省」も「内省」も、そのやり方や深さ次第で、やっている意味が変わってくるでしょう。他のことと同じで、やはり「練習」というか「訓練」が必要です。幸之助さんは、「素直になる」のに1万回くらい、すなわち30年くらい必要と仰っていました。まずは、自分自身と正対すること、「感情的な自分」が「もう一人の自分」と素直に正対できるように、日々丁寧にその実践を続けたいと思います。

  3. コメント

    毎日振り返るものの、分かることや、深めるため、自分自身の信念を確固たるものにする為には振り返ることは出来ても、機会を軸足に自分自身を変えているか。嬉々としてそれを実行出来ているだろうか。そう振り返るとやはり、内省の仕方にまだまだ勿体無いところがあるのだと思います。もっと内省を味方に感じ、信じ、頼っていきたいと思います。

  4. コメント

    「子どもたちに何を大切に生きてもらいたいか」の問いは、自分を知るための鍵の一つにように思います。本心からの言葉が無意識に出ている時、それはこの目先の自分ではなく何か受け継がれてきた「自分」が話してくれている言葉のように感じられることがあり、ふと自分でもそうなのかと気づかされることがあります。七代先の子どもたちを想うことは、内省することと同じことなのかもしれません。自分という我に捉われないよう、本心のままに生きていきたいと思います。

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