素直さを磨く

素直さというものは、人間の生きていく上でもっとも重要な徳性であるように思います。素直な人はいつも大事な局面において、天の助けや人の助けを得ては困難な状況を打開していくことができるように思います。

人間は自分の心の動機や、純粋な思いや、そして正直さなど自分の信じることが道理に沿っているのならその道は必ず導かれて使命に近づいていくように思います。そのためには素直に聴く力を高めていく必要があります。それは自分の思い込みで聴かずに決めつけていくような歪んだ状態ではなく、正直に素直に丸ごと人の話を聴く心を持っているということです。

松下幸之助さんにこういう言葉があります。

「素直な心とは、何物にもとらわれることなく物事の真実を見る心。だから素直な心になれば、物事の実相に従って、何が正しいか、何をなすべきかということを、正しく把握できるようになる。つまり素直な心は、人を強く正しく聡明にしてくれるのである。人の話を素直に聴けるのは、自分の心の中にある素直さを守り続けていく必要があります。」

決めつけや思い込みや自分の勝手な解釈や都合で他人の話を聞くのは素直な心ではありません。何物にも囚われないとは謙虚な姿勢であり、教えてくださっていることを素直にやってみようとする心です。人は運を味方にして成長して伸びる人と伸びない人がありますが、前者は素直に何でも受け容れてそれを体験して自分なりに味わう人です。後者は最初から疑いながらいいところだけを取ろうという人です。

素直さというものをもって人の話を聴くのなら、どんな結果になったとしてもそこから大切なことを学びます。それは何か、それは真実のことです。正直さや素直さというのは、自分の観念で現実を歪めることがなく常に現実あるがままを直視し、直すものは直し、素ではないものは素にするのです。

自分の素が分からず、自分をいつまでも直せないのは自分の心の中にある素直さを裏切り続けることで発生してきます。そうやって心が曇ってしまえば、自分自身のことも見失い人の話も聞けなくなり自己と正しく対話することもできなくなるのです。

自分の素直さを守り続けるというのは、常に素直に聴くことができる状態を維持し続けるということです。なんでも人の言う事を鵜呑みにすればいいという意味ではなく、心で聴くという実践と訓練をし続けるということです。

心の鍛錬は常に素直さの鍛錬により磨かれます。

子どもたちのためにも、素直な心でいる訓練を怠らないよう精進していこうと思います。

  1. コメント

    仲間の行いから気付かされたり、自分でやって初めて知る苦悩だったり、もハッとすることがたくさんあります。今日の真民さんの詩に「本を百万巻読んでも本ものにはなれない/本は頭を肥やすが足は少しも肥やしはしない/足からきた悟りが本ものである」とありました。頭の中で思うだけでなく、行動して続けていけるのも、身近な仲間のお陰であり、その仲間の存在から自分自身の言動を見返していくことばかりです。

  2. コメント

    幸之助さんは、「自然の理法に従うならば、もともと人間には進歩発展する本質が与えられている。それがうまくいかんというのは、とらわれるからや。素直でないからや。そして、自然の理法は、やるべきこと、なすべきことをやっている。人間も、なすべきことをきちんとやれるかどうか、なすべからざることは絶対にやらないという振る舞いができるかどうか、そこにかかっている」と仰っています。「いかなる時も、自分の都合で判断しない」という努力、まずはその実践を続けたいと思います。

  3. コメント

    感情とは、何によって生まれるのかと思ってみると、自我なのかなあと感じます。自我が少ない生き物は感情を持つ事が少ないのかもしれません。素直に物事を天命と受け取り、最善の行動を取り続けるように感じます。人間は寡黙であろうと活発であろうと自我の多い生き物ですが、その自我が我儘になるのかは生き方次第だと思いました。自分に軸足を置いた磨き方から脱却していきたいと思います。

  4. コメント

    「生き方の方で聴く、生き方の次元で聴く」ということが、今の自分にとっては「素直さ」というものに近い感覚なのだと感じます。前向きに捉える、成長する方を選ぶ、損して徳とるなども、ややもすると方法のように受け取りかねませんが、心が自然とそう思えるようになるためには、やはり生き方を忘れては難しいように思います。同じ言葉を受け取った時に、自分がどの基準で捉えているかを常に確認していきたいと思います。

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