人生には良い時もあれば悪い時もあります。この良し悪しは自分で決めていますから、それは心の持ち方や転じ方で工夫していきますがどうにもならない時というものもあります。
そもそも「時」というのは、人それぞれに速度も質も中身も異なりますから同じ時を一緒に過ごしてもその感じ方は十人十色です。生き死にを体験したような人は時の質量も異なりますし、マイペースでゆったりな人の時もまた異なります。人間にはそれぞれ与えられた時間と、また自分が求めている時間がありますから時は人によって平等だとも言えます。
その時というものに対する姿勢において「時を待つ」という心境があります。これはどんな人にも言えることで自分が蒔いた種が育ってくるのですからそれが育つのを静かに待つということです。
今起きている、良し悪しは以前自分が蒔いた種が芽がでて実になったともいえます。人生にも四季がありますから春蒔きと秋蒔きの種を蒔けば旬を逃さなければそれが実になります。実を収穫したいと思うのならば、その種を蒔き続けなければなりません。
人生には因果応報といって、必ずその原因と結果が結び付いているという道理があります。人生には必ず理由が存在し、いくら理不尽だと思ってもその原因は時間が経てば次第に解明していくからです。
その「時」との付き合い方や接し方が生き方であり、どのように時と上手く付き合っていくかが自分との向き合い方にもつながっているように思います。
松下幸之助氏はこうもいいます。「悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、事を成す人は必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。」
また私がよく振り返りに用いる本田静六氏に「決して散る花を追うべからず、出づる月をただ心静かに待つべし。」があります。
心静かに待つためには、習慣というものを身に着ける必要があります。それを実践ともいいますが、良し悪しの時でも平常心で実践し続けて心を静かにしておくということです。
心がざわつくたびに実践をやったらやらなかったりするのは心を亡くしているからです。どんな状況下であっても心さえ手放さなければ心はいつも付き従ってくれて心を穏やかにしてくれます。この「静か」というのは、時を待つ心境のことを言うのでしょう。
「時を実践しながら静かに待つ」ためには、習慣というものを身に着けなければなりません。習慣とは努力のことであり、継続こそが忍耐力や平常心を育みます。子どもたちにその努力の意味や幼いころからの習慣が人生を好運に近づけることを背中を通して伝承していきたいと思います。
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風雪に耐え春を迎える木々を想うと、じっと立つ姿に威厳を感じます。自分だったらと思うと、寒い寒いと震え半日も耐えられないと思います。この「時を待つ」というのには、ただ待っているだけでなく一喜一憂せず、じっと力を溜め土の中では根を張り巡らせていると思うと、大変な時こそ自分自身の根を張って時が巡るのを待ちたいと思います。
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「時を待つ」というのは、「自然な流れに合わせる」ということでしょう。自分の都合が前に出てしまうと、すぐに「タイミング」が合わなくなります。「待てない」のは「欲」であり、「自分の都合に周りを合わさせよう」とする「我」でしょう。「時を得るという素直さ」を学びたいものです。
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真面目すぎると待てず、面白くなく、伝承されないのだと感じましたが、真面目が面白いと感じる人もいることを思うと待ち方も伝承のされ方もそれぞれだと感じます。どちらの方が待ちやすいのかも人それぞれですが、自分の場合は何でもタイミングだと思って自己変換してしまう癖があるので、家族や子ども、仲間や友人、同僚と、みんなと全体に合わせる工夫と努力をしながら、本当の意味での待つということを深めていきたいと思います?