生きる力というのをよく研修で話す。
子どもたちの生きる力を見守ることが幼児教育の本質であると。
人生はある意味とても長い道のりだ。
自己実現までの道のりで勝負をする時期、大成する時期、艱難の時期がある。
今、その子にとって最良でも20年後はどうなのか誰にも分からない。
環境は刻々と変化し、関係する人々も刻々と変わっていくからだ。
いつでも何年後の子どものことを思っているかが保育者には求められるのだ。
保育者だけではない、親でもきっとそうだろう。
今だけがいいのならば、今自慢の子どもにすればいい。
でもそんなものは子どもの将来にとってあまり役に立たないものが多い。
結局、その子の何年後の成功を願い今どう接するべきかを知る事が大切なのだと思う。
だからそのような職責を担う先生はきっと、子どもたちがどんな環境の中にあっても、自我と自立した個性を持ち、何をして歩むのだろうと「見通す力=洞察力」があることが専門性となり子どもを守ることになると私は思う。
この自然界ではとても不安定な多くの関係性と多元性の中で共に生き合って生かし合っていることも個々で理解し習得していかないといけないことだと思う。
その子どもが、将来自分から社会で独り立ちし巣立ち「生きる力」が求められるときその子のために今自分に何がいったいできるのか?
日々深い思索の中で、自問自答、自反することも大事なのだろう。
たとえば、子どものどの時期に最適な力になるかを推測し促す力を考える。
それはほんの些細な『言葉掛け』ひとつでも子どもは自分で気付いていけるものだ。
その気付いたものが30年後にその子への掛け替えのない大切な「生きる力」になるかもしれない。
その「かもしれない」があるから教育は本当に面白いのだと思う。
人間を育てているという深遠で答えのないものがあることを知ることが「生きる力」を育む能力に繋がっているのだと。
幼児教育というのは、本当に味わい深い素晴らしいものだと心から思う。
コメント
出会いとは、偶然のようで実は必然だと感じる時があるように感じます。
カグヤに来たのも自分の意志で来ました。
沢山の会社の中からインターネットで探して偶然見つけたのが出会いでした。
そう思うと出会いとは本当におもしろいと思い、自分の人生が大きく変わったことを感じます。
沢山の人と出会うことは、自分から求めれば求めるだけ何かのご縁が生まれ、沢山の人生観に触れることで、自分の人生も、相手の人生はも影響することなので、何事も受身ではなく積極的に自分から行動し、求めて動こうと思う。
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人を育てるということの仕事の誇り高さ、素晴らしさを実感します。
人の生きる力を最も強く信じるということは、元々自分を越えた存在であるからこそ
分からないということが基本にある様に思います。それを何とかわかろうわかろうと
研鑽しようとするのですが、本来分かることなど出来ないのでは、分からないものを
そのまま受け止めて、認めるとういことが大事なのではないかということを思いました
だからこそ、幼児教育は味わい深く、そこに関わる方々の眼差しの素晴らしさを
目の当たりにしているからこそ、自分自身、このままではいけない。もっと変わらなく
てはと改めて思います。
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今だけを見て関るのか、将来を見通して関るのか、どこを見て関るかだけで与える影響の大きさをとても感じます。特に保育業界に目を向けると現状の問題に気づかされます。私達大人の間違った判断で常に犠牲になっているのは子どもたちであることにもっと危機感をかんじなければと思います。本当に子どもたちの事を考え将来を見通したときに子どもたちに対しての関り方は自然に見えてくるはずですが、そこに目を向けずに大人の都合を押し付けているのが現状だと思います。自分達のためではなく子どもから考えていくという事をもっと大事にしなければと思います。