人は「こうでなければならない」という抑圧されたものを持つと個性が埋没していくものです。本来は、それぞれに個性や持ち味がありそれを活かし合うことで助け合い仕合せを感じるのが人間ですが、幼少期から抑圧された環境や社会があれば自分自身を自分が否定して自分を認めることができなくなるのです。
よく自己肯定感が低いと言っている人がいますが、これは言い換えれば自分を自分で認めることができないという意味です。「こうでなければならない」、「あらねばならない」というねばねばに縛られていけば自分のことが分からなくなってしまいます。いつも抑圧して自分を否定して責めてしまえば、いつも自分から不安を抱え込んでしまうものです。
「あるがままでいい」というのは、自分を丸ごと認めているということです。そのうえで如何に周囲を信頼し、弱いところは助けてもらい、また誰かのために自分の持ち味を活かすということで人間は協力し合う歓びを感じます。そのためには自分をさらけ出す勇気が要ります。それは自他にもっと素直になることであったり、周りの存在を自分からもっと認めていくことです。
例えば、自分から周りの人のことを「ねばならない」や「こうあるべき」とばかり押し付けて抑圧していたら自分のことも抑圧してしまうことになります。周りの人のことをもっと認めてあるがままの相手を尊重していくという意識が抑圧を開放し自由と安心の環境を醸成していくのです。
人は抑圧された環境の中にいれば過敏に被害者意識や自己否定により傷つきます。安心できる環境、抑圧されていない個性が尊重されている環境の中であれば自己肯定感は自然に高まっていきます。
自分を大切にするというのは、今の日本の社会でいえば自分を抑圧して無理をし過ぎないということかもしれません。規格品であることや無理に周りに合わせて平均化しようと無理して合わせてしまえば自分の個性を潰してしまいます。個性豊かな人はそれだけ偉大な才能や魅力が備わって生まれてきます。いわばそれは天や神様から役に立てるように何かしらの大任と共に託された智慧を貰ってきたとも言えます。
それをみんなで認めて大切に守っていこうとする環境が、すべてのいのちを尊重する生き方になっていくように思います。子どもたちが未来に自他を大切にして生きていくためにも「抑圧しない」環境を定め、共に協力し合う中で個性を磨いて徳を修養しけるような楽しい場を創る仕組みを伝道していきたいと思います。
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小さい頃、母からよく「得意なことが一つあればいいんだよ」と言われ育ちました。走るのが速かったので、そこを認められ伸ばしてもらったように思います。この言葉を掛けていた母も私の祖父から同じように言われたと言います。もしかしたら私の祖父も言葉を掛けられ育ったのかもしれないと思うと、私自身も子どもや周りの人たちの得意なところを大事にしていきたいと思います。
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「人を裁く人」は、返す刀で「自分を裁く」と言います。この「裁く」というのは、言い換えると「条件付きで認める」という態度です。すなわち、「その悪い部分さえ直せば認めてやる」という姿勢です。「自分を裁いて苦しんでいる人」は、まず、「人を裁いて、条件付きで付き合っている」ということに気づく必要があるのではないでしょうか。
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最近ふと、街中で出来るサラリーマン(風?!)と自分自身が思うような井出達の方と電車で隣り合わせになりました。昔だったら、、、大体こういう時、その人と自分を比べたり、劣等感をもったりなんてことがありましたが、その時自分の変化に気づきました。(自分の方がイケてるとかではないです(笑) あぁ、もう自分は気にしなくなったんだなぁ、自分のまんまで精いっぱいやっているからそれはそれって比較しなくなったんだなぁと変化を感じました。本当に小さな変化ですが、とても嬉しかったことを鮮明に覚えています。無理をしすぎないということをまたひとつずつ学んでいきたいと思います。
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個人内差記録登録の説明は口では幾らでも出来ますが、実際に自分自身の眼差しや個性を受け入れる姿勢、そしてその体験があってはじめて本当の意味を伝えることが出来るように思います。人の個性に限らず物事に対して善し悪しの判断をするのではなくそのものを認め活かす方向で受け入れることが出来るよう、実践を積んでいきたいと思います。