私が好きなルソーの言葉に「We are born, so to speak, twice over; born into existence, and born into life.」があります。これは意訳ですが、「私たちは二度誕生する、それはこの世に出現したときと、人生の生き方や理念が顕現するときである。」と。
これを起業に例えれば、はじめに会社を創業したときはひたすらに存在するために努力をするものです。しかし誕生するだけで必死で目的が定まらなければその存在している理由が明確になりません。なんとなく続けているということもあるでしょう。しかし、大きな転機がやってきて理念と向き合うときが必ず訪れます。その時、第二の創業がはじまるのです。
これを二度目の創業、「TWICE BORN」ともいいます。
この大事な転機にまず気づけるかどうか、もう一つはその転機をどれだけ好機だと思っているか、そのうえで本当の目的を明確にすることができるかどうか、それが重要だと私は思います。
人生でも同じく、人は何度も転機に巡り会います。それを言い換えれば節目ともいいます。竹の節目も同様に節があるからしなやかになり、節が多ければ多いほど根が太く広くはり逞しくなります。その節目をどのように向き合いその都度に、もっとも大切にしたい自分の生き方を優先することを覚悟できるか、何度も生まれ変わりやり直すことが人生にも発生するのです。
起業も同様に、創業の理由や目的に何度も巡り会うような節目が訪れます。その際に、何のためにやるのかを明確にしそれを甦生させていくのです。
生き方のようなものは周りに見ればとても抽象的に思われるかもしれませんが、実際には同じ生き方を貫く人たちにとってはその姿は明確です。自分もこのような生き方がしたいと思っていれば、必ず同志や仲間に巡り会います。それぞれに与えられた道の中で、自分の生き方を大切にすることが自分を大切にすることであり、他を尊重することにつながるからです。
転機に運を掴めるかどうかは、その人が選んだ道に由ります。どの道を往くか、人生は分かれ道の連続ですが分からない場合は、どの人たちと一緒に行けば楽しいかどうかという選択肢を持つことも大事なポイントのように思います。
正しいよりも楽しいかという直観的な判断は、道に中る道理に叶っていることが多いように思います。楽しい道中を歩める人生を子どもたちが一人でも多く掴めるように、見守られ安心できる世の中にしていきたいと思います。
ご縁を信じて共に子ども第一義の道を一緒に歩んでいきたいと思います。
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ものごとには、「始まり」があり、始まったものには「生き様」があります。そういう意味では、「生まれる」ということがあって、次に「生きる」ということが求められるのかもしれません。しかし、ややもすると、「生まれること」に満足してしまい、「自分の道を生きる」ということを忘れているケースもあるかもしれません。「トワイスボーン」とは、「本道への入門」であり「本番への覚悟」なのかもしれません。
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大学の一節に「日に新たに、日日に新たに、又日新たなり」があります。日々の節目、そして人生の転機。転機を好機と掴めるのも日々の行いに現れると思うと、どんな1日であっても翌日には太陽が明るく陽を照らしてくれるように、心新たな気持ちで1日を過ごしていきたいと思います。
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色んな出来事に出会い、それを軸足に置けば何度でも生まれ変わる事が出来るのかもしれないと最近の初心会議から感じます。何を前提とするかで本当に変わって行くからこそ、前提をいつも本質に近づけるためにも分かった気にならないようにしたいと思います。
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3.11の際に同体験こそ出来ませんでしたが、そこから大きな節目を経て今のカグヤという会社があるのだということは、それこそ節々から感じられるものがあります。先日、遅くなりましたが今年も味噌の仕込みを終え、また新たな一年の発酵期間に入りますが、簡単に出来上がらずにじっくり待つというこの一つもまた自らが自然の循環の中に入る一つの生き方の実践であることを感じています。