自己との対話

他人の成功ばかりを羨んで生きていたら自分の本当の価値には気づけないものです。自分の価値が何であるかを自ら気づくことは、自分のたった一度の人生を充実するためには必要なことです。それを歪めてしまうのは、自己との対話が少ないからのように思います。

自己との対話とは、自分の心の対話ということで自分がどうしたいのか、何を求めているのかを静かに考えて対話をする時間を持つということです。そしてそのうえで必ず思い出すのが「初心」ともいいます。

しかしこの初心は誰かと比較し自分がその誰かになろうとして承認欲求ばかりが強くなればすぐに忘れられてしまいます。自分が求める欲望に従い、周囲に認められたい自分を演じることで忙しくなるからです。

心が安らがなくなれば人は心を亡くします。忙しいという状態は初心を忘れている状態であり、穏やかで少し薄暗い中で目を半分閉じて瞑想している状態ではなく、明るく眩しい光の中で目を見開いている状態です。心の目で観ることをせず、目に見えるものばかりを見てしまえば心を閉ざしてしまいます。心が閉じないように常に初心を感じ続けることもまた自己との対話とも言えます。

自己との対話を続けることは、本当の自分に気づくためです。人は本当の自分に気づければ、自分自身であることに自信と誇りを持てます。そのように生きている人の周りには、同様にあるがままに自由自在に生きている人たちが集まってきます。それを仲間とも言います。

仲間が増えれば、みんなで仕合せで福世かな社會を創造していくことができるのです。自分を知るというのは、世界の幸福のためには必要なことで自己との対話は何よりも優先する人生のテーマでなければなりません。

今のような情報が氾濫する世の中において子どもたちにはもっとも大切なことを見失わないように御先祖様たちが行ったように仕組みを創造していきたいと思います。

  1. コメント

    人の本心は皆、善だと聞いたことがあります。しかしながら人には耳目鼻口があるが故にそれに良いものを欲する気持ちが湧き、また手足があるが故に楽を好むようにもなり、性善のままではいられなくなるとも言われます。心のままに本来の善を為すには身体五感の働きは不可欠ですが、同時に身を修めること無しには不善を為すこともある。この人間らしさを認めながら、それでも本来の人間らしくあれるよう、自己を見つめ心身を磨いていきたいと思います。

  2. コメント

    「自己との対話」で注意すべきことは、「わかったつもりにならない」ことでしょう。「情けない自分」「恥ずかしい自分」「我欲にまみれエゴ丸出しの自分」そんな自分と静かに対峙することが必要です。結論を急がず、変に裁かず、「まだまだだなー」と永い目で「ありのままの自分を受け入れてあげる」ことが大事でしょう。その「受け入れ」ができた先に、自分の「持ち味」が見えてくるのではないでしょうか。

  3. コメント

    一番身近にいて、これまでもこれからもずっと付き合っていく自分との対話は、時に分からなくなることもありますが、一番に助けてくれる存在でもあります。自信を持って取り組むと思っている以上の力を発揮することもあり、人からのイメージされているであろう自己像ではなく、あるがままを大切にしていきたいと思います。

  4. コメント

    演じた自分に気づくための対話でもあるのかと感じました。頭で分かっていることやこうありたいという自分。それも自分という存在の一部なのだと思いますが、実際の自分自身の行動や言動はどうか。そこを見つめようとするとき、先ほどの理想の自分や自然と演じてしまっている自分が邪魔をしてしまうのだろう、そういう自分がいるんだぞと、まずは認識しようと思いました。そんな気持ちからもう一度自分を内省してみると、まだまだこだわりが強いんだなと感じます。こうありたい、こうでなければ、こういうことはこうしたい。もっとこんな会社にしたい、お客様との関係はこうしたい。その想いは悪いと思いませんが、今の現状とその理想が離れていては不平不満を感じるしかありません。理想を描けるのもお客様や機会が与えて下さったから。そして現状を与えてくださったのも、理想に向かってどうや進んでいくのかを体験させてくださるため。どれも意味があると信じて歩みたいと思います。

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