人はそれぞれにその時々の自分の立場によって役割を演じていくものです。その証拠に、様々な呼び名に変わっていきます。彼氏であったり妻であったり、父親であったり祖母であったり、親友、幼馴染、そのほか、仕事上の肩書や社会の中での地位などで呼び名が変わります。
周りの呼び名に対して、自分を演じているうちに本当の自己のことを見失うこともあります。特に、自分がこうであらねばならないと思い込んだり、周りの期待する人生や評価に準じようとすればするほどに自分を演じることに力が入っていたりするものです。
時として肩の力を抜いて、自分の初心を思い出し自分のご縁や運命を内省して振り返ることで本当の自分に回帰することもできます。自分に流れている地下水脈にどれだけ日々に接することができるかが、あるがままの自分を認めるための方法になるように思います。
あるがままの自分というのは、決して束縛から解放されることではなく自分の初心のままの状態でいられるということです。周りが変化したとしても自分がどう生きたいか、生きていきたいかが貫くことができるのならばその場は自分のやりたいことを実現する大切な過程の一つになるからです。
例えば、今を大切にして生きていきたいという初心を持つ人であればどんな日々の繰り返しでさえ、体調や感情の波があったときでさえ自分の初心を優先してかけがえのない一日を過ごします。誰かと比較したり評価したりせず、常に今の自分に意識を集中させ、過去の自分と向き合い今の自分を修養していくことができます。
人生は常に自分との正対ですから、今の自分に真摯に向き合っていくことでしなやかに自分の運命に沿っていくことで最善を盡していくしかありません。そう考えてみると、自分を鍛えてくださる存在があって自分がどのような状況下でも自分でいられるかと自立を促してくれる存在が周囲であるようにも思います。
もちろん今の時代は情報過多ですから、それだけ静かに内省する時間も取れなくなってきています。昔あったような夜が長く電気がない時代に生まれているわけではありませんからそれだけ内省する豊かな環境は失われてきています。しかしどんな時代も、自分のあるがままに生きる仕合せを求めてきた普遍的な願いは今も変わることはありません。
どうしたらこの初心を忘れないでいられるか、日々に実践をすることが苦痛にならないように日々の自分に巡り会える仕合せをもっと豊かに楽しめるように創意工夫を続けていきたいと思います。
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私自身も、「男として」とか「日本人としては」とか、「父親だったら」とか「長男だろ!?」とか、いろいろその「役割」を問われます。それらは、いわゆる一般論や常識として求められる姿です。それも「自分の一面」ではありますが、その前に「一人の個性ある人間」としての存在があります。「役割」ばかり演じている自分ではなく、「一個性」として生きたいものです。
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「複数のものが組み合わされて、予想しなかった効果の生じること」を化学反応と言うそうです。思い掛けない掛け合わせは、新たな発見に繋がりそうですが、そんな時でも何のためにという初心は大事にしていきたいと思います。
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その人らしく、その家らしく、その園らしく、その国らしく。らしさを問う時、そこには大小なく繋がりがあることを改めて感じます。自分らしさに気づくことは、同時に周囲のその人らしさに気づくことでもあり、そこが見えず境目が分からず均一化するほど、本来のものが失われる。改めてVSではなくお互い様、異なるからこその豊かさを感じていきたいと思います。
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自分は一人で初心と向き合い続けて矢印を自他に向けずに保ち続けられるほど強くはないのだと日々感じます。ブレては気づき、置きなおし、その繰り返しですが、まずは自分自身のその波に気づき、受け入れ、無理をせず楽しく生きていきたいと思います。