人間の一生はとても儚いものです。
また人間には運命があり、時が過ぎていくからこそ定めにも出会います。過ぎていくことが変化であり、変化をするからこそ同じ日はありませんが失ってみてはじめてその尊さに気づくものです。
時が前に進むということは、私たちは寿命を使い切っているともいえます。
時間は有限ではなく、いつかこの世を去るときが来ますから今をどのように生きて悔いのない日々を過ごすかは今を生きるものたちの命題です。
ある人は自然災害で亡くなり、またある人は病気で亡くなり、またある人は事故で亡くなる人もいる。遺された人たちは、何が供養であるかを思うときその人の遺志を継いだり、その人の分まで今を真摯に生きていくしかできないのかもしれません。
自然界では、当たり前に生き死にがあることは頭では理解できても親しい人や長年一緒に苦楽を共にした人がいなくなるのは辛く苦しく、そして寂しいものです。
私の座右は、「一期一会」ですがこれは若いころ「メメント・モリ」(死を思へ)というという言葉に出会い二度とないからこそ今を大事に生き切っていこうと覚悟して決めたのを覚えています。
どんな時ももう二度と戻ってこない時間なのだと、この「いのち」をもったいなく全身全霊で使い切り、生き切っていこうとしたのです。
孔子に「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎かず」とあります。
またとない道、二度とない道、戻ることがない道だと道を慈しみ、道を尊び、今をを踏みしめて歩みを進めていきたいと思います。
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一所懸命に生きたつもりでも、いざ命が終わるお時には「後悔」があると言います。それは、「まだできることがあった」「もっとやるべきことがあった」ということでしょう。安易に「精一杯」という言葉を吐かないようにしたいと思います。
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今必要なことが起きていると思うと、どんな意味があるのだろうと思いを巡らせると、気づいていなかったことに気づくことがあります。これまでの積み重ねが今に至っていると思うと、これから起きる一つひとつも大事に味わって歩んでいきたいと思います。
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自分が病で死ぬとわかってからの父親の生き方や暮らしは本当に活き活きしていました。死ぬ最後の瞬間まで輝いていた父の生きざまと、その2年間を共にできた体験は自分にとっての大きなお守りとなっているように感じます。今日も誰かに喜んでもらえるように。今日も感謝の一日を過ごせるように、無理をせず、怠らず、人生を見つめていきたいと思います。
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3.11を振り返る中でも、自分たちの復興とは何だろうかと話がありましたが、身をもって教えて下さったものをどう受け取り活かしていくかは託された私たち次第なのだと思います。二度と会えなくなった人とだけではなく、今日出逢えた人との御縁をいつでも大切にしていく生き方を大事にしていきたいと思います。