昨年から盆栽に取り組みはじめましたが一年間を通しで見守っていると、四季におけるその樹木の生態が少しずつ深まってきます。庭の剪定も同じく、年間を通して実践しているとその翌年にはまた少し生態が深まりこちらがどのような手を入れればいいかが身に着いてくるものです。
この「通しでやる」という智慧は、学びを丁寧に取り組んでいく方法でありこれはどの仕事であっても暮らしであってもこれを繰り返すことで改善し学びを深めていくものです。特に自然をお手本に自然を先生にして学んでいたら、先生の教えに従って自分自身の方を改善していくしかありません。
自然農などもそうですが、年々少しずつ自然の方が変わっていきますからよく観察してみてはじめて「めぐり」を実感することができるからです。
この「めぐり」とは、循環のことでよく使われる言葉は「めぐり会い」や「堂々めぐり」などでも用いられます。廻り巡って私に会いに来たというように、循環していくかでそのご縁が私のところにやってきたという使い方をします。
この「めぐり」は、自然の法理であり宇宙の道理でもあります。何かをすれば何かが発生し、その原因によって結果が出てくる。そのご縁のつながりがどのように結ばれて今に至るか、それはありとあらゆるものが有機的、また無機的に循環していることを意味します。
私たちが「通しで学ぶ」のは、あれは一体何だったのかと自覚することであり、これがこの先どうなっていくのかを察知していくためでもあります。偉大な視点で物事を観れば、ご縁の尊さに感謝が湧いてくるものです。
「めぐり」を体験できる仕合せは、自分が蒔いた種を温め育つ歓びでもあります。
めぐりを通して学び続けられ、学び直せる場があることが私たちを真に成長させてくれるように思います。人生の四季のめぐりも、時代のめぐりも、いのちのめぐりも、かけがえのないものとしてこの今を噛み締めながら歩んでいきたいと思います。
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ものごとはすべて循環していますから、それを学ぶには「一巡り」を体験する必要があるでしょう。ただ、その「巡りの周期」は様々です。また、その巡りも、毎回同じではありません。特に「暮らし」となると、十年、二十年暮らしてみて初めてわかるのかもしれません。しかし、その体験と学びは非常に貴重なものではないでしょうか。
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日々忙しく過ぎていく中でも、桜がパッと花開くとついつい見とれてしまいます。寒かった冬も過ぎ春を感じ、たくさんの人が見上げている姿に自分自身の視線も自然と上を向いています。「念ずれば花ひらく」という一節がありますが「めぐり」を感じさせるものです。同じ時は二度来ないからこそ、今という時を大切にしていきたいと思います。
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今もなおまだ自分に残っていますが、「終わらせる」仕事のやり方や「やること」が目的の仕事の仕方があります。しかし、それが少しずつ、「目的に対して次が決まっていく」仕事の仕方や「今の現状に併せて次が決まる」仕事の仕方を体験していくと、「終わらない」ということの片りんを体験できるように感じます。それはPLANDOSEEのやって終わりの連続の保育からDOSEEPLANのめぐりの保育に変わるような感覚なのかもしれません。自分自身が持っている一斉画一的な感性や価値観を、仕事を通じて変えていきたいと思います。
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大変で苦しい中でも懸命に取り組んでみたり、そんな中でもお客様の声から励まされたり、背中を押してもらえたり。一か所にずっと留まるのではなく、必ず変化して移ろっていくという見通しがあるからこその安心感が、自然から学ぶことの中の一つのように思えます。全てに意味があるものと受け取っていきたいと思います。