昨日、聴福庵離れの思想に大きな影響をいただいた方に来庵いただきお風呂に入っていただきました。6年前にお会いしてから空気や水、地球の原理原則について指導をいただいている方です。いつもお話をしていて感動するのが、原理原則が明確に簡潔に説明されその原理をどう活かせばいいかという具体的な方法まで熟知されていることです。
また子どものような瑞々しい感性で、様々なものを好奇心で察知されそれを言語化されます。不思議な世界をも不思議に思わず、当たり前に目には観えないものを論理的に先祖の生き方や考え方、先人たちの偉大な功績を語りつつ言葉にしてくださいます。ちょっとやんちゃなところもあり、一緒にいると懐かしく、まるで童心に帰ったような気持になります。
私の幼いころも不思議なことにいつも感動し、不思議だなぁということになんでも興味を持ち、すぐに体験しようとした子どもでした。冒険することが大好きで、未知なものに惹かれると抑えられない衝動が来て怪我をしてでもそこに挑戦していた記憶があります。
今でも、未知のものに触れると魂が揺さぶられそれを体験したい衝動に駆られます。特に今は、自然の叡智やご縁の神妙さ、そして歴史や伝統技術、風土や環境の仕組み、心と体のこと、水や火や炭などという精霊の存在、動物や昆虫のこと、人類や文化のことなどに強烈に惹かれます。
何歳になっても、どうしても衝動が抑えられず好奇心のままに行動してしまいます。私は苦労があってもワクワクドキドキする方を選ぶタイプらしく、大変であればあるほどに体験も面白くなるとどこかで思っている節があります。それはきっとこの幼い頃からの童心がいつまでも私を支えてくれているからではないかと思うのです。
何もないことでも、お金にならなくても、人生に影響がなくても、ただ面白いというものが大好きなのかもしれません。だからこそなんでも面白くなるまで遣り切ることを信条にし、どんな時でも徹底して実践することを優先しているように思います。
よく他人からはストイックだとか、こだわりが強いだとか言われますが本当は面白いままでいたいからやっているように思います。その証拠に面白くなくなったものはすっぱりとやめてしまうからです。だからこそ面白くしようと決心したものは諦めが悪く、しつこく粘り強くやっていきます。
高杉晋作の辞世に「面白きことなきこの世を面白く」があります。
私はこの句もとても好きで、どんな人生であっても面白くするのは自分次第であるのだという主体性を感じるのです。主体性とは、自分から面白くすることでありどんなことへも好奇心を失わない童心のままでいることをいうのです。
童心は、子どものように純粋無垢ですからその存在だけで無邪気に遊び自然に仕合せを創造します。
引き続き、子ども第一義の理念を実践し子どもの憧れる大人であり続けていくために挑戦していこうと思います。
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その仕事が「楽しいか、楽しくないか」ではなく、「楽しむ力があるかどうか」だと言われますが、同じように、それが「面白いか、面白くないか」を判断して選ぶ生き方と、「面白くする」あるいは「面白くなるまでやる」という生き方は、まったく違います。「いまの仕事が面白いかどうか」で、常に自分の主体性を確認しておきたいと思います。
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袋を被った姿が印象深く残っていますが、嬉々とした表情も印象的でした。大人になると世間体を気にしたり、こうあらねばという思いが先行しやすくなりますが、好奇心そのままに生きている人は輝いて見えます。いくつになっても子どもたちのようにワクワク楽しそうにしている、そんな姿を大事にしていきたいと思います。
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忙しい時期の中での研修でも、アクティビティや一円対話などその仕組みの中に入っていただくと、表情も柔らかくなり楽しそうな姿を取り戻す先生方の姿があり、それを見るとこちらもまた嬉しくなります。それは普段接している園の子どもたちも同じ気持ちなのではないかと感じます。子どもの周りにいる大人たちが笑顔でいられる環境や仕組みを探求し、自分自身もそれを深め拡めていきたいと思います。
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星野道夫さんが、人に何かを伝えるときには、「感動して、自分が変わっていくこと」が一番だっていうことをエッセイの中で書いていました。これを教えてもらったとき、「あぁ、本当だ、なんだ、そういうことじゃないか。」と妙に納得というか、生き方を教えてもらったように感じます。子どもの姿もそうですよね。ずっと同じじゃない。いつも何かに感動してその時々でどんどんと変わっていく。成長していく。仕事も人生も同じこと。感動して変わっていくから人生なんだと感じました。あまり、過去に縛られたり、過去の生き方から考え続けず、心のままにメッセージを受け取れる自分でありたいと思います。