仕事と作業というものがあります。仕事は価値やプロセスを重要視するのに対し、作業は結果や効率など重要視するものです。仕事も作業も何のためにやっているのかを忘れただやることが目的に変われば価値は失われ楽しくなくなっていくものです。
そもそも生き方なども同様な話で、何のために生きるのかを忘れない人はどんな時もプロセスや意味に価値を置き初心を忘れずに心を籠めて取り組みます。ブログ一つ書くのにも書くことが目的ではないのだから何のためにやっているのかという本質から外れることがありません。そうなるとやっている価値がそのまま文章になりますからその積み重ねでまたプロセスが豊かになって意味が充実し楽しくなります。
しかし心を使わずに頭でっかちに価値を忘れてしまえば、意味もない早く終わらせることだけが目的になり単なる無機質な作業になってしまいます。やらされる仕事というのはこの無意味な効率だけを重視する作業のことで、目的やその価値を見失って働いている状態のことです。本来は価値のある仕事だったものを、自分から進んで無価値の作業にしていくのでは楽しくなることは絶対にありません。実際作業した方が効率よく終わるし、目に見える結果は出ましたから仕事をした気になってしまっているだけで、本来の仕事をしたわけではありません。やらされる仕事と、遣り甲斐のある仕事はまったく別のものなのです。
会社であれば理念があり、方向性があります。そして自分が何かしらで貢献できる方々のために自分の全身全霊、誠心誠意を傾け創意工夫して問題を一緒に解決していこうとする。これは決して作業をしているのではなく、働くことです。
意味を見出し価値を高め、本質から外れずに常に内省しながら働く人は、これは一体何か、何のためにやるのか、何が求めていることなのかと目的に照らしつつ仕事をしていきます。その人の仕事はとても創意工夫に満ちており豊かで楽しいもので、何をやっていても自分から面白くして充実し遣り甲斐をもって取り組んでいます。嫌々ながらやらされているのなどなく、自分から進んで喜んで取り組んでいきます。
そういう働き方や生き方をする人は、その人生も活き活きしており、その人に仕事が集まりますし次第に周りから信頼され遣り甲斐が増えていきます。どんなことも無意味な作業にすることを嫌がり、常に意味のある作業にしようと自分から求めては変換して価値を見出していきます。
本来価値があったものが次第に価値がなくなってしまうのは、自分が価値をそこに見出せないことに由ります。主体性というものは、自分から何の意味があるのかを日々に発見し続けることでもあり、これが目的に対してどのように発展していくのだろうかと好奇心をもって創意工夫を楽しんでいくことで心がついてくるように実践していくことです。マンネリとはその逆の状態になったことを言うのです。
もうすぐ人工知能やロボットが身近で一緒に働くことになり、作業の方はほとんど人間に取って代わられるのは明白です。その時、今もやらされていることを嫌々しながら不平不満を漏らし、楽しくない仕事をしている人はすぐにやる仕事がなくなるように思います。本来の目的や理念、真心を籠めて楽しく豊かに生き甲斐や働き甲斐を創造していく人は、価値を生み出し価値を発展させていくのだから仕事が誰かに取って代わられるということはないでしょう。
全体最適というのは人間社会全体のためにどう生きるのか、自分のやっていることの価値が何かを正しく理解し、ただ正解のためにやらされるのではなくプロセスを常に大切に意味を創造していくことで得られるように思います。言い換えれば、どんな仕事も価値を創造し「意味がある仕事」にしていくということです。それが本質的な生産性を高めることになるからです。
働く仕合せは、意味を感じながら働くことで得られます。無意味で無駄、無機質な生き方をしないよう意味を見出しプロセスを大切にし、繋がりや豊かさを感じる生き方を子どもたちに譲っていきたいと思います。
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「夢を描き、夢を語り、夢を見る」こんな言葉を先月目にしましたが、心の状態が取り組む姿勢に現れ、子どもが憧れる働き方とは何かを思った時、前述の言葉は自分自身のありたい姿でもあります。目の前のことで卑屈になるのではなく、その夢に少しでも近づいていけるよう、楽しんでいきたい思います。
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「仕事だから」という表現がありますが、この言葉を使うときの仕事は、その「価値」や「意味」を見失っているかもしれません。あるいは、そもそも「仕事とは何か?!」というところから違っている可能性があります。「ハシゴをかけ間違えれば、急いで登ったところで、間違ったところに早く着くだけだ」と言いますが、「働くという生き方」を勘違いしないようにしないといけません。
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保育や子育てをイメージしてみると、ここで言う作業をしているという状態は相手かまわずな印象があります。本来はもっと大きな意味のある貴重なことであり、そのようなことをさせていただくことの倖せを感じられるはずですが、そうならずに苦しんでいる園の先生や保護者は多いように感じます。大本にあるものを感じながら、心を込めて物事に取り組んでいきたいと思います。
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子どもを見るまなざしを考えたとき、その子が「そう見える」という自分自身のその子に対する評価という現実と「三省」という自らに対する評価という両面があることを思うと、どんな出来事にも、その人にとっての課題とそれを見ている自分自身にとっての課題というそれぞれへのメッセージがあるのだということを今日の面談で学びました。相手を変えようとする考えを捨て去り、自分自身がどう変わるのか。それが頂いているメッセージを昇華していくことにつながると信じ、歩んでいきたいと思います。