「改心」という言葉があります、これは今までの行いを反省し心を改めることを言います。人生の中で、人は自分がご縁の中で時に誰かに対して何かに対して申し訳ないという気持ちを持つものです。同義語には、覚醒するや、生まれ変わる、立ち直る、仕切り直す、善人になるなどとあります。
人生には因果の法則が働きますから、あらゆるご縁は過去から未来、そして今に結ばれ自分に訪れます。そのご縁をどのように活かしていくかが人生の命題だとして、大切なのはその出来事から学んだことを反省しその心を入れ替える修行をすることではないかとも思います。
私たちが「すみません」と使う言葉にも、謝罪と同時に感謝が入っている複雑な日本語を用います。このすみませんの語源は澄む・清む・済むから来ているといい、それでは私の心が澄(清)まなく気持ちが済みませんという意味だといいます。
先日、30年ぶりにお会いした方に子どもの頃に私がいたずらでご迷惑をおかけした方にお会いして長年心に引っかかっていたことを謝り恩返しをしていることなどをお伝えしたら気持ちが少し楽になりました。その方からも「子どものことだから、それにもう済んだことだから」と言われたとき「すむ」や「すみません」の本当の意味を学び直した気がします。
人間は自分の心に誠実に生きていけば、そのご縁によって或いは因果律によって必ずまたその人に巡り会います。ご迷惑をおかけした人も、親切をいただいた人にもどこかで必ず巡り会います。その恩というものを、お返ししたりお送りしたししながら私たちは助け合ってこの社會を形成していくのです。
自分がその因果律により善くないと反省したのならすぐに心を入れかえて改心していうことは、ご縁を活かしているということになります。
そして私たちは心を澄まして、素直なままに自分らしく自然体に近づいていくのです。「すみません」というのは、このままではすみませんという意味でもあり、このままではすましませんという自反覚醒の覚悟とも言えます。
すいませんが軽々しく使われている現代は色々と言われますが、本来は軽々しいものではなくこのすみませんは「覚悟」が問われているものです。人は心を入れ変えるとき、素直にすみませんが言えるようになります。
そしてそのすみませんに対して誠実であるとき、人は反省をしそのご縁をさらに善いものへと発展させて社會に恩を還元していくのでしょう。よく反省し変わっていくことは、ご縁を活かし心を磨き素直に成長していくことです。
素直に成長した自分を見てもらい許されることもまた、思いやりの恩送りでしょう。徳を積み、さらに御恩返しの人生に舵をきっていきたいと思います。
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「もう済んだことですから」というのは、「もうその件は、お互い引きずらないでおきましょう」という時効的な「けじめのつけ方」でもあるでしょう。それは、「もう思い出さない」という愛情による「一種の許し」とも言えます。「恨みは恨みによってやまず、恨みなきによってやむ」と言いますが、私たちは、「忘れる努力」をしてくれている人たちによって救われているのかもしれません。
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一日一回は必ず「すみません」と言っているのではないかと思いますが、語源を知ると深い言葉なのだと改めて感じます。子どものことだからと許す心の大らかさに、自分だったら同じように言えるだろうかと思います。慈悲深い心、そして、改心し改めることどちらものその姿勢を学んでいきたいと思います。
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これも「ゆるす」をテーマにしたからこその機会でしょうか、ご縁の不思議さを感じます。見守られていると感じている人は見守ることができると言われますが、ゆるされていることもまた日頃は実感がともなわない時もありますが大切にしたいことです。お互いに誠実さをもって好循環を邪魔しない生き方をしていきたいと思います。
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人を選んで態度を変えたり、機会を選んで態度を変えたり。条件を選んで態度を変えたり、そういったことが増えれれば増えるほどに素直で心のままに生きることが難しくなることを自分自身は感じます。大変さを超えて素直でいられる喜びは、選ばないということから多く学んでいるように感じます。もちろん、すべてが出来ているわけではありませんが、その生き方を大切にしていけたらと思います。