縄の智慧

むかしから歴史を紐解けば社會というものはみんなで創るものであるという感覚がありました。自分だけで生きることはできないのだから、自分の居場所はみんなで創っていくという具合に社會をみんなで育てていきました。

現代は、社會だけではなく小さな組織でさえ自分さえよければいいと自分のことを主張してはかえって社會を崩して希薄している風潮もあります。自分が所属するこの社會を善くしていきたい、もっとみんなが居心地が善い環境になるように自分を活かしていきたいと思う、人間として当たり前の仕合せが忙しさと共に消失してきています。

人類は太古のむかしより社會を形成してみんなでお互いを見守り合いながらお互いの一生を充実させていきました。そして人類は助け合い思いやることで自然環境の中で今まで生き延びてきて、一緒に協働することで考えられないような大きな力を発揮してきました。それができたのは、みんなの居場所を用意し居心地が善い場をみんなで育ててそれが永続するように見守る「結び」の智慧を使ってきたからです。

現代はその結びつきが次第に解かれて、それぞれがバラバラになってきているように思います。歪んだ個人主義は人々を孤立させ、孤独にします。その穴を埋めるのをお金で行うことでより断裂は進んでいきます。

例えば「縄」を観てすぐにわかると思いますが、小さな糸も多くの糸と結びつき絡まり合いそして強く大きくしなやかな切れることのない縄になっていきます。出雲大社にあるしめ縄のように私たちは古来からその縄を結び続けて大切にしてきた民族です。

この「縄」は、「社會」のことを示すように私は思います。

縄をどのように結んでいくか、その結びつきや結び方にこそ民族の生き方がありお互いに見守り合い、心を寄せ合い、愛を与え合い、一緒に協働作業をしていくことによってその「縄=社會」を創造していくのです。

お米を育てるように子どもを育てること、しめ縄を結び神様に奉げ奉るように暮らしていくこと、古来から続いていく縄が切れてしまわないようにその時代時代の人々が子どもを見守っていく社會を育ててきたのです。

そういう意味では今の時代はかつてないほどに、人々の結びつきが失われてきている厳しい時代です。だからこそ私たちが取り組む「見守る」ということは、その結び直しをする大切な実践になるのです。

「縄」こそ、人類の智慧であるとし引き続き子どもの社會を見守る大人が増やしていけるように実践を積み重ねていきたいと思います。

  1. コメント

    「縄を綯(な)う」と言いますが、すべてがより合わさって「強い縄」になります。集団の強さも、単に集まるだけではなく、結びつきあい絡み合ってできていくのでしょう。日本人の「おたがいさま」という生き方は、このように絡み合ってこその「強さ」かもしれません。だとすると、もっと遠慮なく絡み合う必要があるのではないでしょうか。

  2. コメント

    出雲大社のしめ縄を初めて目にした際、あまりの大きさに驚いたことを覚えています。出雲大社は縁結びの神様として注目を浴びる記事をよく目にしますが、男女の出会いだけでなく人同士や先祖から大切に守られてきたものを結び繋いでいることを決して忘れてはいけないことを感じます。これまでたくさんの方に見守られ、それは今もですが今度は自分が子どもたちや誰かのそんな存在となれるよう、精進したいと思います。

  3. コメント

    着物の帯は人の姿を美しく見せ、道着の帯は締めると力が入りますが、ベルトとは明らか違うそのようなものにも古来からの「結び」は派生しているのかもしれないとふと思いました。言葉や行い以上に深さがあったもの、もしくは目にみえない深さを形に変えたものの存在を、もっと大切にして受け継いでいきたいと思います。

  4. コメント

    松下幸之助さんの言葉の中で、企業は社会の公器であるという言葉と出会いました。利益を追求するためではなく、世の中の役に立つためにある。その言葉は、そのまま自分自身にも言えることなのだと感じます。自分の利益を追求するためだけにあるのではなく、みんなのために、誰かのために、社会のために自分を役立てるという意識がそれぞれに本来持っているものなのだと感じました。その社会とのつながりが希薄になっている現代とは、反対を言えば結びつきの智慧が必要とされる時代なのだと感じました。子どもたちから、見守る保育から学び、結びつきを体現できたらと思います。

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