人は何かを分けることで本来の初心を忘れてしまうことが多いものです。それは生き方を分けてしまうということであり、本来分かれていないものを分けることで目的が手段にすげ換ってしまうことがあるのです。
例えば、これはプライベートでこれはビジネスなど自分の都合で分けた時点で生き方と働き方を分けていることになります。公私混同するなとか世の中では言われますが、実際には生き方は渾然一体になって混同しているものです。私たちは暮らしの中にこそ仕事があり、仕事があって暮らしがあるわけではありません。日々の暮らしを通して働いていくことは、生き方と働き方の一致ですがそれを分けてしまうところから暮らしは消失していくのです。
暮らしとは何か、それはその人が一日一日を何のために生きてどのように世の中で働いていくかということでもあります。働きとは、自然のハタラキのことですべての生命はそれぞれに唯一無二のハタラキをもって地球で貢献し共生していくものです。それは単に仕事をすることが目的ではなく、生き方として何を大切にして生きていくかということです。
嫌なことを我慢して生きている人は、嫌なことを忘れるためにプライベートとビジネスを分けていくことがあります。無理やりやりたくないことをやらされると感じるのは、そもそも何のためにそれをやるのかを忘れて手段にばかりに気を取られ本来の目的から遠ざかることで発生します。
我慢は我と慢心からできている言葉ですが、この自我慢心は言い換えれば初心を忘れるほど油断しているということでもあります。初心を忘れないでいれば、自分の目的に気づきやりたいことをやっていることを思い出し、我慢することはなくなります。
苦労や忍耐は、目的に近づくための努力でありそ自分を鍛錬し成長していく発達発展の仕合せの実感にもなります。人間は辛いことや嫌なことから逃げようとするとき、すぐに割り切るために分けようとします。その時は分けて処理することで感情的には一時的に整理できるのかもしれませんがその時にこそもっとも大切な心を置き去りにしてしまうことを忘れてはならないように思います。本音と建前を分けていてはプライドばかりが高くなり自分を見失うだけでなく自分らしくあることができなくなるのです。
何のためにやるのかを常に忘れない人は分けない生き方を実践する人です。生き方を分けない人とは常に自分の本心や本音を大切にして生き切っている人であるとも言えます。
その時々に都合よく自分に嘘をつき納得させたり、自分の本心を自分自身が誤魔化して生きていては、自分の中にあるもう一人の真我との信頼関係も築けず共に手伝って協力することはできなくなります。そんな状態の人が周りの人と理念や目的を握り合って本心や本音で共に協働して目的に向かって力を合わせていくこともできなくなります。
誰かや何かに文句を言う前に常に自分が本心や本音で生きているか、つまりは本心が分かれていないか、決心した生き方を大切にして自分自身に正直に生きたかは何よりも重要な人生の羅針盤なのです。生き方は常に覚悟力が問われるのです。
最後に吉田松陰がこう言います。
「士の行(おこない)は質実、欺かざるを以て要と為し、巧詐(こうさ)、過ちを文(かざ)るを以て恥と為す。 光明正大(こうめいせいだい)、皆是れより出づ。」
意訳すれば、(志士たるもの自分を欺くことをなきよう、自分に嘘をつくことを恥ずかしいと思え、まさに生き方と働き方の一致は個々で決まるのです。)と。
自分の心に嘘をついて誤魔化して分けていくことで生き方と働き方は分離していきます。自分自身が決心したままに生きていけるようになるには、理念や初心を常に自分が確かめそれに対してどのような一日であったかを内省しすぐに改めることは改善していくことしかありません。
「生き方とは常に本心のままである」ということを大切にし、子どもたちが素直な心のままにあるがままの個性を発揮し成長していけるように常に生き方を優先する大人のモデルになっていきたいと思います。
コメント
自分の過去を振り返ったとき、辛かったことや嫌だったことを忘れようと一所懸命にごまかしている自分がいます。いろいろ理屈をこね、自分の言動を正当化して、必死で「割り切ろう」としていたのかもしれません。そんな自分を「そのまま引き受けできていない」ゆえに、ほんとうの自分を見失っていたようです。
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子どもを見ていると、本心のままに生きていることを感じます、楽しければ笑い、怒ったり、泣いたり感情がコロコロ変化しますが、本来の姿だと思うと、生気のない振る舞いのほうが違和感に感じます。理性の働きすぎも過ぎると人間らしさを失い、人としての営みを大切にしていきたいと思います。
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「公明」は公平で私心のないこと。 不正や隠し立てがないこと。「 正大」は態度や行動などが正しくて堂々としていること。自分は良くオーバートークがあると言われたことがありますが、足したり引いたりすることも現実とは分けている自分がいるのだなと感じました。自分を偽らず、飾らず、誇張せず、求めず。無理をしない自分。あるがままの自分自身を大切にしていければと思います。
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子どもの頃は当たり前だったものが、大人になるとそれが難しくなる。そしてそういうものだと諦める風潮がありますが、だったらどうしていくかと考えていくところに醍醐味があることを感じます。周知を集め、試してみて改善していくという子どもの遊びのような実験を積み重ねていきたいと思います。