人は御蔭様に感謝して足るを知れば、自分に与えられているものに気づくものです。そして自分を認めることができてはじめて謙虚の入り口に立つことができるように思います。
自分というものを受け容れるとき、謙虚に近づきます。しかし実際は、自分のことを認めずそのことから自信がなくなり謙虚とは程遠い高慢な態度をとってしまうものです。そうなるとプライド合戦がはじまり人間関係に支障をきたしていきます。自分のないところやできないところばかりを見ては、自分に対してマイナスな頑張りを続ければ続けるほど傲慢さが増していくのです。
自分自身のありのままを認めないという考え方は、自分の思っていた理想ではないことへの苛立ちや周りの期待に応えられないことへの不満もあるのかもしれません。しかし、自分のないものねだりをするばかりに自信を失いかえって周りの人たちの自信を奪い、さらには人間関係そのものを壊すような人になってしまっては本末転倒です。
本来は自分というものは天から与えられた欠けることが一つもない完全な存在であると認めることが自信の本質です。自分のままでいい、あるがままでいいというのは天から与えられた個性や才能を認めるということです。ここで認めることがなければ、周りも「あなたはいったい何様なのか?!」と思うでしょうし、その人の高慢で傲慢なプライドが増長し復讐心にまで高まると同時により一層自分自身ことを嫌悪して負の悪循環に陥るのです。
人間は生まれてすぐの純粋な子どもたちのように差別なく自他のあるがままを認めることができるとき、人は自他をゆるすことができます。このゆるしとは、誰も責めることがなく感謝で思いやることができているということです。一緒に生きていく人たちが、他人のことをどうこうするまえに自分自身をそれぞれで認める努力をし、その延長線上に周囲と認め合えばお互いに仕合せになれるように思います。
それに何かあるごとに当たり前の存在である水はダメだとか太陽はダメだとか、空気がダメだとか地球がダメだとか言ってそのものの存在を認めない人はいないと思います。この世にあるすべてのどれも必要な存在だと差別せずに受け容れることですべてを認めることができます。
私たちの日本の先祖はそれを八百万の神々として大切に尊重し合って暮らしてきました。それが和を尊ぶという意味です。
人間関係も同じく、お互いにこの世に必要な存在であることを自覚するのならその人のままがいいと思えるのではないかと思います。
謙虚の「謙」の字は、自然のままという意味です。善悪正否もそこにはなく、自然の姿、あるがままを認める人だけが宇宙万物一体全とつながる一つの存在になれるように私は思います。それが私が目指す自然体の姿そのものです。
簡単にはいきませんが、何か事あるごとに「これだではダメだ」という意識ではなく、「天がそうしてくださったのだからきっとこれでいい」と丸ごと信じることでゆるされた存在であれるように思います。
引き続き、足るを知り、御蔭様や感謝の気持ちを忘れずに人を自分の定規で裁かず、きっと何かその人にしかできない大切な使命があるのだろうと聴福人の実践と福徳を積み重ねていきたいと思います。
自分が変われないとトラウマを抱え心を痛め苦しんでいる人たちのためにも、自分自身が誰よりも丹精を籠めて素直な心を磨いていきたいと思います。
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河合隼雄さんは、「人間、自分に自信がないと謙虚になれない」と仰いました。またある教授は「自分自身に本当に満足している人たちは謙虚になれます。そして周囲の人たちにも、自分自身に満足できるように助けたいと思うものです」「他人に対して攻撃的で傲慢で、傷つけるような行動をする人は、例外なく自尊心が欠如しています」と仰っています。「自信」というものの根拠は、この「自尊心」ではないでしょうか。この「自尊心」を持つためには、「他者との比較優劣」ではなく、「自分の本質」というものをしっかりつかんでおく必要があるでしょう。
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心の中で「言われなくても、分かっているよ!」と叫んでいる時、素直じゃないなと後から振り返ると感じます。本当は、ありがとうございます。ただその一言なのだと思いますが、至らない自分を感じます。次同じようなことが巡って来た時は、笑顔で感謝を伝えられる自分となれるよう、磨いていきたいと思います。
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子どもたちが上手いも下手も気にすることなく楽しんでいる姿を見ると、大人も引き込まれるように楽しみ出してまるで童心に返るかのような時間を体感し合えますが、目一杯楽しむと満足・充実するのは子どもも大人も関係ないように思えます。大人は何かと理屈をつけたがりますが、本来の心のままを大切にしていきたいと思います。
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変わらなきゃと思う自分自身がいたら、「天がそうしてくださったのだからきっとこれでいい」と語り掛けてあげる。自他ともにその姿勢でいられることが出来るように自分自身もなっていけたらいいなと思います。どんな窮地でも求めないでいる心。窮地を窮地と思わない心を磨いていきたいと思います。