日ごろの自分の足跡を振り返り辿ってみるとその道すがら大きな発見がたくさんあるものです。毎日、忙しくスピードを出して高速道路ばかりを走っていたら振り返る間もなく次の目的地のことばかり考えてしまうものです。
現在は情報化が進み、さらには寸刻みでスケジュールが決められ、何をするのにも正確に準備を求められるように思います。その中でみんな忙しくなり、より一層、決められた時間や決められた行程をきちんとこなすことに注力されていきます。
しかし本来、人生とは何かと思い立ち止まって考えてみるときそれは日々の体験をどのように感じるかということによってはじめて自分の人生を噛み締め味わうことができるのです。
大事なものを見失うとき、人は振り返ることがありません。私が日々に内省をするのは、自分の人生が何かを味わいながら歩んでいきたいからでもあります。奇跡のような出会いや出来事に包まれている人生を実感することで人は待つことができるようになります。
何でも待てずに手を出しては焦り、余裕を失い、正確かどうかで忙しくなってしまうのは自分の人生からどこか遠く離れた自分になってしまっているかもしれません。焦らずにゆっくりと、丁寧に歩んでいく人は人生の初心を忘れていないということでしょう。
人生の初心を歩んでいくのは先ほどの足跡を確かめながら歩んでいくことです。ここまで歩んできた道筋を振り返っては、「ああ、自分はこう歩いてきたのか」と歩き方を確かめて、「これからはこう歩いてみよう」と改善を続けていくことです。
自分の足跡は自分の人生を映し出します。
だからこそどのように自分を運んでいくのか、誰と一緒に歩くのか、どこを目指すのか、どの道を往くのかを常に日々に確かめていかなければなりません。それが人生を創るということです。
色々な道がある中で自分だけが通った道がある。もしくは自分にしか通れなかった道がある。その道が自分の人生だと思うとき、人は導かれている今に気づくことができるのでしょう。
常に導かれて歩いている実感がある人は見守られて生きていく人であり、次に歩く人たちや子どもたちを見守っていく人です。
日々の振り返りが人生であると、初心を忘れない実践を楽しみたいと思います。
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今日一日を振り返っても、情けないことがあったりします。同じく、自分の過去を振り返ると、恥ずかしい思いをすることもたくさんあります。それらのすべてを黙って受け入れて前に進めるか、それとも、そんな自分は受け入れられなくて、消し去りたい思いでいっぱいになるか?!ここで生き方は違ってくるでしょう。「これまでやってきたことは、すべてこれからやることの準備である」とも言われますが、これまでのありのままの自分を受け入れ、「だからこそ感謝してがんばる」のであり、「それでも懸命に生きたい」と思います。
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もし、あの時別の道を選んでいたらどうなっていたのだろうや、あの時こっちの道を選んだから今があるとか、どの時も決断の連続で今があることを感じます。足跡は自分自身そのものというのも面白く、一歩一歩歩んで踏みしめて来た足の裏は何を思うのだろうかと思います。頭だけで歩んで来たのではなく、身体全体で歩んで来たことを忘れず、歩みを進めていきたいと思います。
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この一年を振り返るだけでも、沢山の有難いご縁と道を歩ませて頂いていることを感じますが、これを10年、20年と遠くを見てみたとき、歩んできた道に多くの不思議さや見守りを感じます。特に日頃から強く感じるのは亡き父からの見守りですが、これは父の自然観や人生観、暮らしを通して今も沢山助けてもらっていることを肌で実感できるのは有難い限りです。また、このGWでは中学の恩師2名からもふとした時に子どもに対する関わり方について、昔教えてくれたこと、自分にしてくれたことを通じて思い出させて教えて頂く機会もありました。近くにいても遠くにいても、見守ってくださるというのは本当に有難いことですが、心雲る時こそ、大切な方の顔が浮かぶからこそ、心を亡くさずに過ごしたいと思います。
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思えば遠くへ来たもんだ、などと言う言葉がありますが、振り返れば不思議に思える今があるようで、実はそもそも決まっていた道でもあるのなのかもしれません。全ての出来事が学びになっているという解釈を行うことが出来るか、とある一円対話のチェックのように、一つひとつの機会の中にある意味を感じていきたいと思います。