植物たちや動物たちをはじめ、すべての生き物たちは養分をいただいて成長していきます。その養分は地球でいえば自然の恩恵をいただいていのちを分け与えて活かされています。しかしこの自然の養分と別にもう一つ大切な養分があると思うのです。
それは愛のことです。
人間は、愛という養分をいただくことでいのちをいただくことができます。その愛は、慈悲ともいいますが思いやることによって育っていくのです。
例えば、誰かが育つとき、厳しいかとか甘いかとか、環境がいいかどうかとか色々と議論されますが実際はもっとその手前にある大前提に「愛」があるかないかの方が重要になります。
愛がしっかりと入っているのであれば、厳しくても甘くても育ちます。また環境のせいではなく、思いやりがあるかどうかの方がよほど人間が育つには大切なことです。
いのちの子育てというものを思うとき、すべての生き物たちは「愛」を与えます。愛が不足すれば、いのちの育ちが悪くなるのは明白です。人は何かを食べなければ生きていけないように、人は愛がなければ生きてはいけません。そしてこの愛とは「いのちの養分」なのです。
愛のある環境こそが、本来の育つ環境であり、愛がなければどんなに仕組みがあったとしても生き物たちは育ちません。愛情をかけるというのは、熱量もそしてストレスも、忍耐も、信じることも必要ですがそれがすべていのちの養分になって周りの成長を助けてくれるのです。
もしも相手が自分だったらと相手の苦労を親身になるのも愛です。
もしも相手が初心を忘れて間違っていると思って厳しく諫言するのも愛です。
もしも相手が孤独でつらそうなとき心寄り添って味方になることも愛です。
もしも相手が信じられなくなりそうなときに最期まで信じきることも愛です。
いのちはこの愛の養分を得て、成長して自立していきます。私たちが取り組む会社の実践や保育は、この愛や思いやりを「つなぐ」ところこそ本業ともいえます。何をする会社なのか、自分の何を使って誰かのお役に立つのか、これは大切な自問自答です。
引き続き、子どもたちの仕合せが未来永劫に循環するように愛がめぐるような生き方を譲り遺していきたいと思います。
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人は、「自分が愛されていることを真に実感した分だけ、人を愛することができる」といいます。したがって、「自分がどれだけ愛されているか?!」ということを、いかに素直に、そして豊かに受け取ることができるか?!ということが大事でしょう。いかなるときも「愛され、見守られていること」を、しっかり実感しておきたいと思います。
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「何をする会社なのか、自分の何を使って誰かのお役に立つのか、これは大切な自問自答です。」このことはいつも心に留め、そして振り返り明日に繫がることを感じています。目には見えないものにたくさん包まれ、今の自分があるからこそ、今度は子どもたちへ伝えていけるよう精進していきたちと思います。
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愛に気づけるかどうかは、信頼関係が強く膜を張るように感じますが、その膜は時間が溶かしてくれたり、様々な機会が溶かしてくれたりするものですね。今すぐには伝わらなくとも、条件にかかわらずにじぶんにできることをしていくこと。人に喜んでもらうということの積み重ねの中で愛を学んでいきたいと思います。
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愛がしっかりと入っていれば育つというのは本当にそうだと思います。その愛は理屈ではなく無意識に発動しているものであって、自然とそうなっているというのが本来なのだと感じます。「やってあげる保育」という言葉の意味合いもまた少し違ったものとして受け取ることが出来ます。子ども心はその辺に敏感なのかもしれません。