人間はどれくらいのスパンで物事を観るかでその行動の本質が変わっていくものです。その人が100年単位で物事を観るのか、1000年単位で物事を観るのかで観え方が変わるからです。短期的にしか物事を見なくなってきた現代の風潮の中で、長い目で物事を考えて行動する人のことが分からなくなるのは仕方がないのかもしれません。
かつての日本は七世代先のことを考えて今を行動するという指針があったそうです。七世代といえば約300年くらいですがせめてその頃の子孫のことを慮り自分がどのような暮らしをしていけばいいかを考えたのでしょう。
私の場合も、なぜ暮らしの復古起新をとか、なぜ自然を味方にとか、やっていることには民家の甦生からお米作り、そして見守る保育という生き方の伝道、さらには初心を磨き伝承することなどをしていますがなかなかやっていることの本質が他人には理解し難いものかもしれません。よく不思議で変なことばかりしてと指摘されますが、長い目で観たらどれも今、必要なことしかしていません。
それに「子ども第一義」という理念を掲げる以上、子どもの今から発想を組み立てますから短期的なことは後回しになることが多いのです。もちろん短期的なことは、現代の課題を解決するために具体的な保育環境を変えていきますが、本来は子どもの仕事だからこそ1000年先のことを考えて今をどう生き切るかを考えなければならないのです。そして人の世には道理として因果律がありますから自分がどのようなことを今するかで未来の姿が変わっていくことを自覚しなければならないのです。
特に子どもたちの保育環境においては重要で、私たちが用意した保育環境によってそれを舞台に次世代の子どもたちが新たな時代を切り拓いてくれます。その時に、連綿と受け継がれた根のチカラを使い活かせるのか、それとも養分が断裂された根無し草のようになるのか、それではいよいよこれから世界が一つになり和合していくぞという変化の中で日本人の特性が活かせません。
希望というのは、子どもの未来のため自分のエゴを少し置いてでも徳を積み環境を整えていくときに出てきます。それは一つは仕組みといった智慧の伝承もあるでしょうし、他にも真善美といった日本人としての生き様もあるでしょう。
そういうものを少しでも遺し大切に譲っていけば、いつか子どもたちは舞台で大躍進を遂げ、活躍していきます。その舞台の未来には、主役も脇役もなく、一人ひとりが全員主役として共生して仲睦まじく助け合い思いやる社會を創造してくれるでしょう。
・・・本当の平和とは何か。
もう一度、今の世代の人たちは愛されてきた子どもたちとして、そして愛する子どもたちのために少し立ち止まって長い目で物事を観て自分と向き合ってほしいと願います。
引き続き、人類の希望のため、自分のできること、自分にしかできないことで人類の平和に貢献していきたいと思います。
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これまでも、たくさんの方が日本の危機を訴え使命感に燃えて活動してこられました。しかし、私自身は自分のことで精一杯であり、それらの声に耳を傾けることなく、この何十年かを過ごしてきてしまいました。たいへん遅い目覚めではありますが、残りの人生を懸けて「日本の希望」のためにできることをやっていきたいと思います。
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今のこのスピードで文明化が発達し続けるのだとしたら、300年後の世界がまるで想像出来ません。よく映画などでタイムスリップする内容のものがありますが、見た目は変わっていようとも、人としての在り方は変わっていないように見えます。そう思った時、名が遺っている偉人たちは人格的にも優れている方も多く、磨くべきは腕よりもそこなのだと感じます。狭くなりがちな視野ですが、少しでも広く視野をもっていきたいと思います。
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「ただ気候風土の影響に依て面色の差あり、又言語の差あるも、此等は少しも人間の本質に関するなし。人は何れに生れ何れに住するも等しく是れ人。」かつて先人が遺して下さった気概には今も琴線に触れるものがあります。自然という美感を持って生きてきた日本人ならではの眼差しや感性を絶やさないためにも、受け継がれてきたものをしっかりと捉えていきたいと思います。
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今日、どんな風に自分を使ったか。実際に誰に、何に喜ばれたか。そこには、その人が何年先を見て行動しているのかがあらわれるのだと思います。長野へ足を運ぶのも、レジャーでもなく、日頃の見守りへの感謝と、家族としての今できることの連続ですが、先を見るからこそ今しかできないことが見えてくるように思います。その導きを感じ取っていきたいと思います。