生きていると嫌なことや嬉しいことに出会う。
また何かに執着すると自分勝手に善悪を決めて、よく後悔することがある。
形あるものには形がなく、形があるからこそ大事なものが見えなくなる時がある。
存在を感じるには、形があるものではないものを「在るもの」だと思う力が必要だと思う。
たとえば、
そこになくても、あるように思えるもの。
そこにあるのに、ないように思えるもの。
この存在を見つめるときに何を思うだろうか?
もし何かの感情に執着したり固執したり囚われると、大事なものまで見えなくなってしまう。
以前、田坂広志氏の著書で「死生観」のことを学んだ。
もし自分が明日死ぬとするならば、この今をどう生き切るか?ということだった。そしてその他に、「歴史観」「世界観」ということも大事だと書いてあった。
この今の判断がすべての未来に繋がっているとして、今、目の前の出来事に対してどう自分が処すことができるか?
存在を考える時、人は「今」を見つめているのだと思う。
今を見つめる時、存在の本質を穏やかにそして静かに感じるものがいいのだろう。
きっと人は存在をどう感じて、存在に対してどう向き合うかで生き試されている。
大きな存在の中に在りその境界でしか、それを感じることができない。
存在が持つ境界とはきっと、分けるものではなく「許す」ものなのだろう・・・
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毎日同じようで違う日々過ごしているので、毎日が勉強になっています。
生まれて死ぬまでの時間は、人生の修行だと思って日々生活をしています。
辛いことは沢山あるが、乗り越えられないそれを乗り越えて自分という人間が成長できるのではないのかと思っている。
そう思うと日々の生活事態が勉強で、一秒たりとも気の抜けないものだと思うので、
時間は本当に大切に有効に使っていき、一人前になれるように、いつ死んでもいいように後悔なく生きて行きたい。
学生の頃は、一般常識を学んでいたのかもしれない。
しかし、社会に出たら専門的な作業以外ほとんどの事が通用しないことを、
社会に出て、カグヤにきて感じた。
学生の頃いかに考えてこなかったのかが今になって感じる。
本当の勉強は社会に出てからだと社会に出て感じた。
死ぬまでに自分という人間を理解し本質というものを見つけ、人生という道を豊かに過ごしていけるようにしたい。
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良いことも悪いことも自分という存在が生み出したものであり、その全てが自分を
通して確かに存在している。
周りの環境のせいにしてしまうことがまだまだありますが、それはすごく簡単なこと。
しかし、己の中から変革することが大事だと思うのです。全ては自分次第。
ならば自分は変革する方を選びたいと思う様になりました。
世の中を変えるためにもまずは自らを変えていくことで少しでも多くの人のために
役立てることが出来ればと思います。
何かに固執することなく自分という存在を大事にしたいと思います。
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ここ数日目に見えないものの大切さを改めて感じています。何か問題が起きたときには、どうしても焦ってしまい 安易に答えを見つけようとしてしまう自分がまだまだいます。結果的に一番大切な物(存在)に気づく事が出来ずに時間だけが過ぎ去るというふうになってしまっています。やはり自分の置かれた環境も当たり前と思わずに、目に見えない部分に対して何かあるのではという意識をもっと自分の中で大事にしていかなければと感じます。