御先祖様のルーツを辿ることの意味はいくつかあります。その一つに、日本とはどのようにして為ったのか、そして今の自分がどのようにして為ったのかという歴史を学意味です。
学校で試験のために歴史を学んだ人は歴史を知るというのを単に年代や名前を暗記して記録を知ればいいと思っている人がいます。そうなってしまうと歴史の話をしてもピンとくることもなく、何も感じることがなくなります。知っていることといえば、年号を語呂合わせていうことはでてきますがその年代にどのような物語がありどのような過去からその出来事が発生するに至ったか、その至ったことを誰がどのように関わって今になっているか、壮大なドラマには決して思いを馳せないのです。福沢諭吉が「日本国の歴史はなくして日本政府の歴史あるのみ、学者の不注意にして国の一大欠典と言ふべし。」と言っています、この日本国を自分の御先祖様に換えればわかると思いますが周囲の人たちの歴史への違和感のなさにその刷り込みの深さを感じるばかりです。
昔から一流の人たちはみんな歴史を学んだといわれます。その理由は、この先を観通し過去の失敗を改善し自分たちが真摯に子孫のために自分をどう活かせばいいかを真剣に向き合ってきたからです。歴史を学ぶ意味は本当に掛け替えのないものなのです。そして今は、すぐに歴史になりますから歴史とは過去から今につながってそれが未来に向かっていく大切な学問なのです。
ドイツの政治家ビスマルクの有名な言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」とあります。
これは逆説ですが、経験も大切なことですが歴史を学べば先人の体験からどうなるのかということを学ぶことができるということ。歴史を反省して未来を築くことができる、今と未来は歴史に学べということです。
歴史を学ばない人は、一向に未来が改善されていきません。何度も同じことを繰り返しては何でだろうと思うだけで進歩があまりありません。しかし歴史を学べば、これではいけないと悟り未来を変えていくことができるのです。
昔から60年に一度、戦争が起きるといわれる理由や、人間はそのままにしておくと必ず人災が起きることなど、歴史を教科書にすれば近未来は観通せるものです。そのためにどうあるべきか、何を悟り行動すればいいかを賢者は考えるのです。
先祖の歴史を知ることは、自分の過ちを正すことになり、先祖の人生を懸けた体験からどう生きればいいかを学ぶ本当の教科書です。学校で教え込まれた歴史ではなく、まさに自分の人生のために活かし学ぶ歴史であるべきなのです。
岡倉天心が言う「われわれは、われわれの歴史のなかにわれわれの未来の秘密が横たはつてゐるといふことを本能的に知る。」こともできるのです。
先祖を深める家系図を辿り歴史を学ぶことは、自分の人生を学ぶことなのです。
私は先祖のことを調べて、それを書き記しましたがその書き記したものでは周囲はただの暗記物を越えません。このことを私がこの先の人生にどう活かしたかを見せることで、子孫たちに歴史を学び伝承することの大切さを感じてもらえればと思います。
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「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学べ」と言われます。それは、歴史の結果ではなく、そこに生きた人たちの生きざまに学べということでしょう。それはまた、「過ちと間違い、そして愚かさ」を学ぶことであり、同時に「正直さと素直さ、そしてたくましさ」を学ぶことでもあるでしょう。そういう意味では、私たち大人が「しっかり歴史に学んでいる姿」を伝えることも重要かもしれません。
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振り返ると学生時代は年号を覚えて試験に通るための学び、その域を決して超えることはなく、先人の生き方よりも自分自身を優先していたことを感じます。今になって少しずつ、歴史を学ぶとは何かということに触れ始めていることを思います。自分一人の人生の時間では長くて80年程かもしれませんが、歴史から学べばこれまでの膨大な智慧を学べるのだと壮大なものを感じます。先人が遺してくれた贈り物から学び、活かしていきたいと思います。
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アシリレラさんとの話を思い返す時、歴史とは戦の勝者や多数派が操作できること。また、受け手側が操作できることを学びました。私の中には、アイヌの血、渡来人の血が混ざっています。今残された歴史の中で、何を信じるか。そう考えた時、DNA解析の結果日本という国は、人類が始まったアフリカ大陸からは、その旅路で3つのグループに分かれて進化してきましたが、その3つのグループ全てがたどり着いて混ざった国である事を知りました。また、アシリレラさんは、争わず、和して暮らして行きたいとおっしゃられていました。人類皆兄弟。優劣も賢者も愚者も自分の中にある。自他を分けずにいられるのも、全てのルーツが混ざるこの土地だからかもしれません。
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学校教育での上辺だけの歴史には全く興味が湧きませんでしたが、そこに込められた人々の想いを知っていくと、興味云々ではないものを実感するようになりました。そしてまた歴史と言うもの自体が非常に扱い辛く、個々の主観によったり断片的に見られたりするものであることを同時に知りました。沢山の先人の生き様があるからこそ、偏らずに澄んだ心で自分たちの歴史を平和のために活かしていきたいと思います。