人は自分自身を認めるということは何よりも大切なことです。その理由に、自分を認めることができなければ何が自然で何が不自然かが分からなくなっていくからです。自分自身のことを自分が認めなければ、その分、その中心軸はズレていきます。中心がズレれば何がズレたのかわからなくなりますから傍で観ているとおかしなことをしているなと客観的に思えることでも本人はおかしいと思わずに変なことをしてしまうのです。
例えれば、ピンボケしたカメラのようにいつまでも焦点が合わずに何を撮りたいのかもわからないという状況です。体も同様に、歩き方をはじめ生活習慣病まで何かがおかしいのにそれに気づかなければ対処していることが間違ってしまうこともあります。本来の中心軸を取り戻さなければ結局は、無理をして体を壊してしまうのです。
野球をはじめスポーツにはコーチという存在がいます。自分がやっている癖を修正してくれる存在だとも言えます。何が自然で何が不自然かは他人が客観的に観た方が正確に読み解くものです。自分では気づかない自分の癖や、自分では何が元なのかわからなくなってしまっていることも周りの人の方が感じる感じるものです。自分が一番自分のことをわかっているという人は、自分を認められている関係がある人です。自分を否定し自分を認めない人であれば、素直に他人のいうことを聴いた方が修正がスムーズにいくのです。自分を認められない人は自分の声も聴きませんが、他人の声も聴きません。その状態を頑固というのです。
頑固な人は、自分が一番自分をよくわかっているし自分が間違っていないと思っている軸に合わせていますからその自我に負けて認められない自分ばかりが強くなりズレが大きくなっていきます。その証拠に我が強くなり、感情に呑まれるか認めないからより一層頑張ったり無理をしたりの悪循環を繰り返します。
まずは自分がズレているのではないかと慎重になって他人の話を耳を傾け素直に聴くことでしょう。百歩譲っても、聴かないよりは聴いた方が間違いなくおかしなズレは直せますし、教えてくれた方もその後も気にしてくれてアドバイスをくれるからです。他人様はみんな素直な人には親切なのです。
そして頑固に自分は間違っていないというのが、その人の限界になります。そうなるとズレは直せず成長が歪んでいきます。しかしこのズレは生きていく上でバランスを保つために必要でどんな人でも必ず発生してきますから素直さを磨き、ズレをすぐに修正する修練を積み重ねていくことがよりよく生きることに大切だと思います。
引き続き、ズレを見つめて自然と不自然を学び素直さと謙虚さを磨き自然体であることを大切に成長を続けていきたいと思います。
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「問題」というのは、基本的に「何かのバランスを崩している」というサインでもあるでしょう。そういう意味では、「問題」というものが、いろんな「コーチ」の役割を果たしてくれているのかもしれません。私も、久しぶりに体調を崩して寝込んでしまいましたが、「病気」こそ「心身のバランスの崩れ」の現れです。思い当たることがいくつかありますので、我を張らず、素直に「ズレ」を修正したいと思います。
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平行棒の足元ばかりを見ているとフラフラとなりますが、意外と目線を上げ先の方を見ると安定したりします。日々の中でも似たようたことは多く、ただ足元ばかりでなかなか目線が上がらないことが多いですが、そんな時ほど自分に固執せず、人の声に耳を傾け修正していきたいと思います。
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人の話を聴けない時こそ、心身ともに辛くなりますが、辛いから聴けないとういう思いもあり、余計に負のスパイラルに入ってしまいがちです。自分の今あるパターンではどうしようもないと自覚して初めて聞こうとなるところもあるのかもしれません。聴いて福に転じるのは自分自身ですが、転じなくてはならないと思うから、聴けないところもあるのかもしれません。まるごと聞いてみるということ自体が福であることは、まずはまるごと聴いてみないと分からないことなのかもしれません。聴くということの継続の中で、聴くことの大切さを深めていきたいと思います。