感謝というものは、無理に感謝しようとしているか、自然に感謝しかないとなっているかでその意味が異なります。大前提として、感謝の中に周りの御蔭様で今の自分が存在できると思っている人は感謝しかないと思っていますがそう思っていない人は感謝の捉え方が違ってくるように思います。
人は恵まれすぎる環境にあると次第に感謝の心を忘れていくものです、今のように何でも便利に自分の都合よく手に入る環境があれば次第に感謝の心が薄まっていき傲慢な自我が強くなっていくものです。思い通りになっていけばいくほどに、それに比例して感謝も感謝しかなかったものが感謝しなければならないというように変化してくるように思います。
人は感謝に敏感で、感謝の気持ちを忘れれば人間関係に綻びが生まれてきます。お互いに相手に不平不満を言っては、相手が変わらないことでお互いに軋轢が生まれストレスがかかります。それを感謝の心を忘れ無理に解決しようとすればするほどに、相手や周囲への思いやりが欠如してかえって関係が悪化していくことがあるのです。感謝がないから我が出てくるとも言えます。
本来、相手の存在や周囲の存在があって今の自分がこの世で自立していくことができるとも言えます。自分は相手であり、周囲は自分でもあるのです。つまりは自分を存在させてくださっているものは何かということを忘れてはならないのです。
自然界は、周りの自然と一緒に生きていることに感謝しています。その証拠に分を超えて取り過ぎることはありませんし、常に自分が周りによって活かされる状況を保ち続けています。人間はお金を払えば、分を超え必要以上に摂取し、そして自分たちの都合で好きに自分にとって都合の良い環境を創り上げていくこともできます。そのうち謙虚であることがなくなれば、感謝の気持ちがなくなっていくのでしょう。
当たり前だと思っている目の前の存在や所属している組織や仲間、そしていただいている身体や御先祖様、そして日本のこと世界のこと地球のこと、そういうものを常に忘れないようにしている人は、いつも誰かへの感謝の心を言葉に顕しています。
先日もあるお客様のところで口癖のように社員たちが、「いつもみんなの御蔭様で」とか「仲間の存在に助けられ有難いです」とか、「みんなに迷惑をかけてしまって感謝しかない」と話している様子をみてその人たちが、感謝を忘れないことで「仕合せ」で楽しく、豊かに仲よく働いていることを実感する機会がありました。
組織が上手くいく方法などいろいろとありますが、やはり普遍の真理として「感謝を忘れない」人たちがいる組織は必ずと言っていいほど平和と調和があってみんなの幸福を創造しています。「全体快適」とは、みんなのことを思いやり「感謝を忘れない実践」を続けるという意味です。そしてこれが人間力を高めるということに他ならないのです。
引き続き、自分の感謝の心は果たして感謝しようとするものか、それとも感謝しかないと思っているものか、自分のことは自分が一番よく知っていますから自己を確認して世の中の幸福のために貢献していきたいと思います。
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不足の自分ばかりを気にしていては「感謝」する余裕はありません。感謝とは、「こんなにも与えられている」ということに気づき、「いつも見守られている」ということを知ったときに、自ずと湧いてくるものでしょう。その時には、社会やチームに生かされている自分が見えてきます。「時々気づいたときにする感謝」もありますが、「感謝せずにはいられず、感謝しても感謝してもし尽せない、だからその報恩で毎日を生きる」という生き方をしたいものです。
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何故、そんな事を言うのだろうと思ったら聴く。それが普通でしたが、言われた言葉や態度で傷付く事が日々重なると、そこだけが頑なになっている自分がいる事に気付きます。そこだけは聴きたくない、関わりたくないと感じてしまいます。積み重なるやり取りに風通しがなくなるのかもしれません。しかし、昨日、それも自らがそうだと決め付けているからなのではないかと教えて頂きました。相手がなんでそんな事を言うのだろうか。どんな事を言われようときっと何か意味がある。私自身が問題なのかもしれない。我が子に接するときのような愛が必要なのかもしれません。どちらにしろ、自分自身の思い込みを消し去ることから始めたいと思います。
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以前、いつも文句も言わず動いてくれている身体にありがとうを伝え、目につくものも全てにありがとうを伝えていたら、視野がどんどん拡がり感謝の気持ちが溢れて言ったというお話をある方から伺いました。自分も真似してやってみると、次から次へと普段意識していないことに気づく感覚がありました。もっと、もっとと思っている時ほど、この感覚を大事にしていきたいと思います。