初心を立てる

人間は自分の初心をしっかり自分で立てずに周りに合わせてしまえばブレてしまうものです。家で例えれば自分の家の大黒柱がどうなっているかということでもしもそれが傾いてしまうと家全体はどうなるかということです。

組織も同様に、中心になっている人物の大黒柱(初心)がしっかりと立っていてその周りに中黒柱、小黒柱がしっかりと支えているから家が傾かず基礎がズシリとブレずに建つことができるのです。

時代という早く大きな川の流れやうねりの中で、今の時代に初心を立てるということは濁流の中で流されずにしっかりとその場に留まる支柱を埋めて立てるようなものです。

少しのせせらぎの中であれば倒れたり流されることもないかもしれませんが、これだけスピードが速くなり怒涛の変化が渦巻くなかでは簡単に濁流に呑まれてしまい消えてしまうものです。その変化は情報化という外側の変化だけではなく、欲望といった自我の変化もあります。

しかしどんな状態であろうが、どんな条件下であろうが、支柱は守り続けるというその人の信念が貫かれれば初心を守ることはできます。

最初は、大黒柱の陰に寄り添って何とか流されないように誰かに守ってもらっていることからはじまるかもしれません。しかしそのうち大黒柱を支えられるように自分が支柱になるように努力していく必要があります。みんなで立てば、それだけ流れに対して強く逞しくなり、確かな支柱が増えれば増えるほど頼もしくなっていくのです。

人間は自分の柱を誰かのものでいつまでも支えてもらおうとし続けてもそれは土台無理なことです。だからこそ自分の足で立つというように、自分の柱は自分自身で立てなければなりません。それを「初心を立てる」といいます。その初心を立てたなら、それを忘れないようにすることと、その初心を振り返り流されたり傾いたりしないように修繕や修理をし続けることが日々の実践ということになります。傾いても誰も起こしてくれませんから、そこは自分で起きるしかありません。ただ周りに真っ直ぐの基準があるのなら姿勢を立て直しやすいものです。

そうやって自分の初心がしっかりしていけばいくほどに、他人に依存せず、世間に流されず、自己の確立に向かって素直に成長していくことができます。人類がみんなそんな生き方ができるのなら、世界は確かな平和を築いていくこともできます。

子どもたちには、しっかりと頼もしい自分を確立して時代が変わっても大切な自分を立てられるように初心を見守れる環境を創造し続けていきたいと思います。

  1. コメント

    自分自身の想いを心に秘め育て続けることも大切なことですが、一緒に働く仲間の初心を聞き誇らしさが増しました。古民家の柱を一生懸命磨き、木目がくっきり姿を現わすように、お互いの初心を磨き合うことは、はっきりと明確に輝きだすことなのかもしれません。この初心を大切に日々振り返っていきたいと思います。

  2. コメント

    「柱」には、「柱になるまでの歴史」があります。「初心」にも、同じようにその「歴史」があり「背景」があります。これまでその思いを重ねることで固まってきた「初心」は、その歴史の分だけの「確かさと強さ」を備えています。初心を立てたなら、遠慮することなく、そして迷うことなくその道を歩くことが必要でしょう。

  3. コメント

    初心は立てただけでなく、実際に行動してこそ磨かれていくものですが、裏腹な働き方をしてしまうと全く磨かれないことがあることを自分自身実感しました。それは以前、自分自身の働き方や生き方、考え方という「前提」と「志」自体がまったく合っていないことでした。志を高く持ったとき、志に見合った「結果」を手に入れようと仲間を使ったり、機会を使ったり、会社を使ったり。結果が出ればよいという考え方では全く志は磨かれず、却って自分自身にも仲間にも会社にも泥を塗るような経験を昔したことがあります。志は結果ではなく「今」の選択そのものに現れるもの。そして「今」の選択で磨くことが出来るもの。愚直にまっすぐに心のままに歩みたいと思います。

  4. コメント

    真弓定夫先生の映画の上映会でアルバート・シュバイツァーの言葉と出逢いました。「どんな人の中にも内なるドクターがいるのに、彼らはその真実を知らずに医者を訪れる。患者一人ひとりに宿る内なるドクターに働くチャンスを与えよう。その時に初めて我々は医者としての本領を発揮したことになる。」国もまた問題があれば外来の方法で対処しようとしますが、本来は内にある風土に根差した歴史や伝統を見直せば自然治癒していくことを思い出す必要があるように感じます。人も同じく内にあるものを大切にしていきたいと思います。

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