昨日は雨樋の歴史を書きましたが、大きな目で観るとむかしはなんでも自然からの恩恵を勿体無く使い活用していたのに対し、それが近代になればなるほど便利か不便かという考え方に切り替わってきたようにも思います。
それはいわば人間が自然に対して共生するか征服するかという自然との付き合い方の歴史だとも言えます。むかしはどうだったか、改めて「むかし」を学ぶことで私たちの先祖は何をどう選択してきたかという生きた教材から大切な智慧を学び直すのです。
むかしという意味は、向かうから来ている言葉で今はむかしとなると今に向かってきた方ということになります。つまりは、古から今に対してどのように向かってきたかというプロセスことを言います。むかしという言葉を人が使うとき、それは単に過去にあった出来事を語るのではなくご縁を語っているのです。どのような縁起があって由緒があり今に至るのか、その全体の意味を直観しているのです。
全体の意味の直観とは、智慧のことでこうしたらこうなるという歴史から得た教訓を学んでいるのです。そのうえで私たちの先祖たちが何を選択してきたか、そしていつも何に憧れて挑戦してきたかを学び直すのです。
私たちの先祖はいつも徳治による自然との共生を大切にしてきました。簡単に言えば、自分を含めたいのちへの思いやりや全体への優しさを大事に和して生きていく背中を子孫へ譲っていくことです。
その自然やいのちへの思いやりが、人間として尊いとし、自分勝手な利己的な生き方よりもみんなが仕合せになる利他的な生き方をしてきました。そのことにより全体調和し全体快適な暮らしをみんなで支え合ってくることができたのです。
平和というものは、そういう暮らしが長く続くことでいつも思いやりや優しさこそ最善であるとしみんなそれぞれに自分を磨き自分に打ち克って魂を高めてきたのです。
世界には多様な民族があってそこには多様な歴史があります。しかし日本が世界から尊敬されるのは、一体どこのことを言うのかと自分たちは歴史から見つめ直さなければなりません。
神話の国譲りより今に至るまで、私たちの先祖はその生き方を何度も試されその都度貫いてきた人たちが守ってきました。その守ってきた文化を、どのように次世代へと譲り渡していくかは今の世代の大きな使命です。
むかしから今を思うことは、わたしたちの使命を振り返ることです。
引き続き子どもたちに譲り遺したい生き方を磨いていきたいと思います。
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「昔、むかいあるところにおじいさんとおばあさんがいました…」と始まる昔話もただ単に、とある日の日常を描いていたのではなく、今の時代にむかしから何を学ぶかと問いかけていると思うと見え方が違ってきます。今日という日もいつか昔になると思うと、子どもたちを想い祈るような心を日々大事にしていきたいと思います。
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「むかし」を「いま」とは別と考えるのではなく、「いまに繋がるプロセス」だととらえると、「いま」は、これまでのすべてが集約されたものであるということでしょう。そこで大事なのは、「何をしてきたか」だけではなく、「何を目指してきたか」ということではないでしょうか。時を経て「何を目指し続けているのか?!」そのバトンを間違わないようにしたいものです。
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繋がりを感じられるというのも、ご縁を感じられるのも、むかしがあるからこそなのかなと感じました。今を生きることもむかしを生きることもヨットに乗り、風を探していると同じような感覚になりますが、何事もずっと繋がっているのだと感じていけたらと思います。
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自然と
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自然と共生しながら自然の智慧を取り入れてきた日本人。ですがある一時からその意味では進化はなくむしろ退化し続けているように思います。自然を征服するということ以上に、今は遺伝子組み換えやゲノム編集など種を操作する時代にもなり、交配していけばいよいよ原種を絶やすことになることを思うと、歴史の教訓は活かされていないようです。自然への畏敬の念を忘れないようにしたいと思います。