自分のルーツを辿っていきながら不思議に思うのは、いつも自分がなにかに見守られたり助けてもらったり、教えをいただいたり、気づきを得られたところに先祖のつながりがあると発見することです。
自分はここがかつてご先祖様が居たところだと頭では知らなくても、なぜかそこに何度も訪問していたり、そしてそこで育っていたりと後から調べるとわかってくるのです。そうやってご先祖様とのつながりを感じていたら、次第に感謝の気持ちが湧いてきます。
御先祖様の見守りの御蔭様で今の自分があることを知れば知るほどに何かご恩返しができないかと考えるようになります。ルーツを辿ることで得られるものは、感謝の気持ちがつながることかもしれません。
感謝の気持ちがつながれば、自ずからご先祖様に手を合わせて拝んでいます。そしてご先祖様が叶えたかった夢の延長線上に今の私がいて、その志を継いで今私がそれを仕事にしていたり、生き方を追い求めていることに気づきます。
つまりは御先祖様が、大事にしてきた初心が今の私の精神や魂を形成しているということに気づくのです。
思い返せば私はなぜ今、こんなにもこれを想うのか、そして願うのか、それは一体何処からやってきたのかと省みるのなら、それはすべて過去の体験で得られた気づきであることを覚えます。
その体験からの智慧が、その後の誰かの役に立ったり、そして同様に共に志に生きた仲間たちがまた今世で集まり、その夢を子孫たちが叶えようと挑戦を続けます。ご縁がある人たちはみんな、御先祖様が大切にしてきたことを一緒に体験した同志かもしれません。
私は、未来にこれからずっと生まれ続けてくるであろう子どもたちのために日本の智慧や叡智、そしてご先祖様の思いやりや優しさが途切れないようにしたいと願うのです。その思いやりや優しさが循環し続けるように、循環を遮るものや循環を変えてしまうものを取り払いたいと挑戦するのです。
子どもの志事というのは、決して単なる教育か何かだけをすればいいのではなく子どもたちが安心してこの先も暮らしていけるように今、私たちにできることを真剣に取り組むことです。
それが今、失われつつあるものの甦生であったり、繋がりが切れないように強く結び直すことであったり、取り組むべきことは多岐に及びますが、自分が気づいたところから直していくしかありません。
ルーツを辿ることは、自分たちの循環を知ることです。
感謝のままに、子ども第一義の実践を強めていきたいと思います。
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「ルーツ」を知るというのは、自分の「存在根拠」を確認するということになるのではないでしょうか。またそれは、「いのちという縦の繋がり」だけでなく、「ご縁という横の繋がり」を思い出すことになり、一緒に生きている感覚を取り戻すことに繋がっているのでしょう。こういった確かな繋がりを思い出すことができれば、現在の「バラバラ感」を払拭することができるかもしれません。
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祖父はすでに亡くなり、今となっては何を大切にしていたかなど聞くことは叶いませんが、祖父やご先祖様が大切にしてきたものが、自分の中にも流れていると思うと心強さを感じます。そう思うと、季節が巡るように思いやりも脈々と受け継がれていることを思います。今の繋がりやご縁もご先祖様からの時から続いてきていると思うと、不思議な感覚ですが目指すものに向かって取り組んでいきたいと思います。
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大人になって人と出会い、出身校が同じであるだけで共感や繋がりを感じますが、昔、戦国時代に一緒に戦ったんだよと分かっても、中々そこに現実味が帯びないのは、不思議なものです。親戚なんだよとなると、また繋がりを感じますが、どこから親戚ではなくなるのか。元々は同じ種から分化してきたわけなので繋がりはみなあるとは思うのですが、そこは原点から今までの間の繋がりに意味を感じるかどうかの話なのかもしれません。今の自分、来年の自分、その時々でこの繋がりに対する姿勢や感性も変わっていくものだと思いますが、過去にも今にも未来にも同じ心で歩みたいと思います。
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自分の血の繋がりやご先祖様を辿ったことはありませんが、日本人の気質や風土がルーツであることは理屈ではなく感覚でわかるように思います。最近は食に改めて興味が湧き、病気を治す力のある血液を作る時に穀類と海の塩だけをよく噛んで食べることをするそうですが、昔ながらの一汁一菜の食事はその血液を作る病気にならない食生活なのだそうです。この身体も自然の一部と、大事にしていきたいと思います。