現在の歴史を紐解く中で、表には出てこない陰に隠れた歴史があります。その歴史を省みながら人は時間と共に何が原因で今、こうなったのかという結果を尋ねていきます。その繰り返しによって、改善されさらに未来をよりよくしていくことができます。
その時は、最善だと思えたことでも時間が経てば最悪の結末を迎えるものもあればその時は最悪だと思っていても最良の結果になることもある。短絡的に部分だけをみて判断するのではなく、長期的に全体をみてどうあるべきかを考えていくなかで物事を如何に見通していくかは歴史を学ぶことにより磨かれていくものです。
私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし戦争の歴史から学ぶことが本当に多く、私たちは一時的な平和に怠けて大変なことを忘れないようにしなければなりません。それが御先祖様の体験を子孫が活かすことになるからです。
例えば戦争と平和を考えた歴史の言葉もたくさん残っています。
「戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとはかつて一度もあったことはありません」(内村鑑三)
「いかに必要であろうと、いかに正当化できようとも、戦争が犯罪だということを忘れてはいけない。」(ベンジャミンフランクリン)
「平和というものは、人間の世界には存在しない。しいて平和と呼ばれているのは、戦争の終わった直後、またはまだ戦争の始まらない時をいうにすぎない。」(魯迅)
戦争はどんな理由があったにせよ、戦争のために行われます。だからこそ戦争をしないためにどうするかを考えなければなりません。
戦争の反対に平和を持つのではなく、絶対的な平和をどう築けるか。その平和は人としての道であるように私は思います。人道を究めることこそが平和を築くことであり、徳を盡すことこそ和を保つ秘訣であるようにも思います。
最後にマハトマガンジーの言葉です。
「平和への道はない。平和こそが道なのだ。」
一人ひとりが人としての道を修めていくことで平和の存在を確かめることができます。そういう社會になるために、人の道を弘めていく必要があります。先祖の暮らしの智慧にはそれがたくさん詰まっています。
引き続き伝統と暮らしの甦生を続けながら道を深めていきたいと思います。
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大学に「修身治国平天下」とあります。組織や国を治めるにもまず、自分自身の行いを治めることから始まると思うと、そこに人の道を感じます。歴史には人の生きる道、そして智慧が詰まっていると思うと、今の時代にどう活かしていくかという問いも感じます。鳥獣としてではなく、人として生まれたからこそ、人としての道を歩んでいきたいと思います。
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国家間の戦争には、侵略もあれば、自国防衛、他国防衛の戦いもあります。また、日本国内においても、古から領地争いや権力争いなど様々な戦いありました。現在でも、企業間の争いもあれば、身内の醜い争いもあります。それらの根本には、欲による奪い合いと保身があります。争いのない状態が平和なのではなく、生き方の中に、譲り合う心と寛容さが必要なのでしょう。そして、そのためには、物やお金ではなく、心の豊かさを磨く社会をつくらないといけないのではないでしょうか。
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仲良くなるための殺し合いが存在しない以上、戦争はやはり罪であると感じます。子どもたちだったら、対話や、異年齢での関わりがありますが、国家間では一部の人しか関わりがありません。これからのネット社会では、言葉の壁を越えて対話の体験を増やす事が大切なのかなと感じます。分かれたものではなく、1つのものという発想を大切にしていきたいと思います。
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明白なる天命という考えが歴史上にありましたが、誰かの正義というものが唯一になることの恐ろしさを感じます。そして、戦争は第三者によって引き起こされ、争いたくなかった者同士が憎しみあった歴史でもあるように思います。今も農薬や抗がん剤など一度仕組みが出来上がれば大多数の人は流されます。自然が本来用意して下さっている厳しくも優しい和の環境と、人間の欲が生み出した誰か都合の不和の環境の中で、全体の平和のために心を磨き為すべきことをなしていきたいと思います。