私たちは当たり前に現代のものを何も考えずに使っていますが、元々はどうだったのかということを考えることが少ないように思います。すべてのものには「はじまり」があり、そのはじまりが今につながり意味を持ちますからそのはじまりを知っているからこそ本質のままに理解することができるように思います。
もののはじまりを知るということは、何よりも大切で温故知新していくためにも必要なのです。
どんなものにも歴史がありそこにはルーツがあります。歴史を学ぶということは言い換えるのならもののはじまりを知るということであり、ルーツを辿ることでそのものの本当の価値や意味、その言葉の定義を知るのです。
現在、日本文化として定着している当たり前のものもそのルーツを辿れば原点に出会います。その原点には、祈りがあったり願いがあったり、今のように形式的に変化していく前の本質が遺っています。それを拾い集め、今の時代だったらどうするかとその時代の人物たちがその本質が壊れないように今の時代の価値観に適応させていくことで歴史は伝承されていくのです。
現在では、形の上だけの名前だけ残ってその本質が変わってしまったもの、そうではなく形はなくても市井の有志の人々によって本質を保っているもの、入り混じり存在しています。
本来の姿を守るためには、本質を見極めるその時代の人々の生き方が決めます。
子どもたちに、もののはじまりを知ることはルーツを保つことであるとし歴史から学び本当は何だったかを自分の頭で考えるようにとモデルを示していきたいと思います。ブログでも少しずつ、その辺を書き残していきたいと思います。
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先日、冷奴に生姜やネギなどの薬味を添える意味を初めて知りました。生の豆腐だけでは陰性が強く、薬味と一緒に食べることで冷えを抑止したり、普段あまり気にしていませんでしたが、日本食の食べ合わせにも知恵が満ちしていることを知りました。お米作りも始まり、日本人がこれまで食べてきたものを知り、育て、祈り、食す大切さを感じます。ただ頂くだけでなく、そのルーツも探っていきたいと思います。
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すべてのものには「意味」があります。元々は神事であったものが、いつの間にか便利さばかりが優先され、形式的になってしまっているものもたくさんあります。そのルーツを知り、変遷の背景を知って使ったり行ったりするのは、その「意味を生きる」ことであり、それは「智慧を生きる」ことでもあって、とても豊かなことです。この「意味を生きる」ということを大事に生きたいものです。
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コーナーやゾーンも、知恵の結晶のようですが、それが何故始まったのかという、保育の始まりを知る必要があるのだと、今日のブログから学びました。自分が本質を守っていく側であるように、はじまりから考え続けることに意識を持って行きたいと思います。
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自然農法の提唱者である福岡正信さんが「雨は大地から降る」というお話をされていたことを聴きましたが、大地に緑があって水分が蒸発して初めて雨が降る、というのはなかなか日頃は考えにも及ばないことです。何がはじまりなのか、大本が何であるかということを追求していく意識を大切にしていきたいと思います。