中国のルール

先日から北京入りしていますが、市内の観光地はどこも人であふれあちこちにセキュリティチェックが行われています。行列であっても、割り込む人もいれば立ち止まっている人もいたり、それぞれが自由に動き回っています。

日本では注意されて喧嘩になったり、嫌な顔をしたり不愉快になるものもここではいちいちその程度では不愉快になることはありません。それは車の運転なども同様に、譲り合うことはなくどちらかといえば我先にと突っ込んできます。横断歩道を渡る人がいようが、観光地で人が溢れていようがその中をクラクションを鳴らしながら通過していきます。免許を取るときにどのように指導しているのか、試験ではどうなっているのか気になるほどです。

また人の方も負けておらず、横断歩道でなくても3車線の十字路でも構わずに侵入してきます。あまりルールということの意味が伝わっていないか、ルールというものの存在よりも常に自分のやりたいことを優先するという考えではないかとも思います。

日本では、ルールを破るというのはとても悪いことでみんなルールを尊重して生活しています。ルールについてなぜこのようなルールなのかと言い返すこともなく、ルールだから仕方がないと諦めていたりします。しかしここ中国は、ルールに対して納得いかないと言い返したり、都合のよい解釈をして利用したり、対策を立てて対抗したりもしています。

よく観察していると、ルールを覚えるよりも周りの人がどうしているのかと見ているように思います。周りを見て自分よりも得をしている人や、メリットが大きい方を自分も遣るという具合に基準がルールや法が尊重されにくい環境があるように思います。

つまり誰かが前例を作ってそれがルールの抜け穴になったらそれをみんながやっているうちに気が付いたら正当化されているという具合です。自分勝手のように見えますがこれもまたこの土地で生きる仕組みだったのかもしれません。

人々の間に流れる人間の深いところ、孔子は論語でそういうことも見抜き徳を示したのかもしれません。今日から世界園長会議に参加してきますが、この国の幼児教育がどのようなものを吸収しようとしているのか観察していきたいと思います。

  1. コメント

    TVの報道で中国のマナーについて取り上げられることがありますが、現地では日本では想像がつかないようなことが起きているようで、カルチャーショックを受けそうです。そして、同時に世界各国の園長たちが集まる中で、ルールに問題もどういった子どもを育てるかという中では、切っても切り離せない問題のようにも感じます。世界を越えて子どもたちが憧れるような働き方を目指していきたいと思います。

  2. コメント

    「どんなルールがあるか」をみると、その国の国民性が見えてきますが、同時に、そのルールの遵守度というか「暗黙のルール」によってもその傾向性はわかるでしょう。本来は、「みんなを守るためルール」ですが、それよりも保身のための「自分のルール」が優先しているのでしょう。「譲る」という価値観の豊かさを改めて感じます。

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