人類の歴史を省みると、その土地や風土には伝統的な生活習慣というものがあります。この伝統的な生活習慣は、その風土で培った一つの文化でもあります。自分がどのような暮らしをしているかを遺すことは、その民族がどのような生活習慣をもっているかという証でもあります。
かつて民族は、自分たちの伝統的な生活習慣を確認することで同じ民族であるかどうかを確認したようにも思います。例えば、衣服であったり、道具であったり、儀式であったりと、同じ民族だからこそ持つ風習があります。その風習を持っているからこそお互いに同一の発祥を持つ民族であるという共通理解を持ったのではないかと思うのです。
風習を調べると、「風習とは、土地ごとに存在する社会生活上のならわしやしきたりのこと。風俗習慣。行為伝承のひとつ。地理、歴史、その地域の産業の違いによって顕在化し人々の行動や思考パターンに影響を与える。学術的には歴史学、民俗学の研究対象とされることが多い。」とあります。これを大きくしていくと文化という言い方をしています。
そもそも風土の習わしと書いて、「風習」ですがこれは文化を指します。その風土の中で培われた独特な智慧を、習わしとして伝承していくという仕組みです。その仕組みを維持していくことが、風土の智慧を遺していくことであり独自の文化を守り続けるということになります。
人類が多様な民族に分化していったのは、その土地の風土や環境に適応するための「智慧」を開発していくためでもあります。地球は一つだけの気候や環境ではなく、ありとあらゆる多様な環境が存在します。そこに移動しながらそれぞれにその風土環境に適合した姿になっていくということが、地球と共生していくいのちの使命です。
多様化するからこそ、環境が激変しても種を遺し続けていくことができます。現在は、私たちは自分たちが適合する代わりに、便利に道具を使って自分たちの都合の良い環境をつくることに成功しました。風土の智慧を遺す代わりに、文明を進化させどの風土でも自分たちの過ごしやすい環境にしていくことを可能にしました。
そういう意味では、風習や文化が不必要になってきたとも言えます。長い年代や歴史をかけて築いてきた先祖の智慧は今では役に立たない産物と化したのです。この変化の大きな時代の中で、何を取捨選択するかはどれだけ永い未来を見つめて今を決めるかということに懸かっています。
あなたは何を選択して生きていくか。
私は子どもたちに譲り遺したい未来を創造していきたいと思います。
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旅行などで一時的に訪れることと、そこに暮らすことはぜんぜん違います。暮らすとなると、その地域の豊かさを味わえると同時に、その風土の洗礼も受けなければなりません。毎日となれば、過酷なこともたくさんあります。しかし、「住めば都」でもあり、そこに暮らすということ自体にひとつの意味があるのではないでしょうか。そこを選んだ理由があるように思っています。
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聴福庵を通して、初めて知った日本の風習も多く日本に住みながら知らないことや経験の少ないことを感じます。反対にハローウィンだと、最近になって入って来たものもあり、イベント的ではありますが毎年行われていたら、いずれ定着しこれが文化になっていくのかなと思います。古民家を守りながら、本来あったものを子どもたちへ伝えていけるよう、まずは自分自身が学んでいきたいと思います。