夏のしつらえ~清々しい涼しさ~

昨日、聴福庵の建具を「簾戸」(すど)しつらえました。本来は6月初旬から秋にかけてですが、ちょうどいい建具が見つからなかったためここの時期になりました。入れ替えてみると、ようやく夏を迎える準備ができた感じになり清々しい気持ちになります。

むかしの日本の先人たちは、夏の厳しい蒸し暑さをしのぐために様々な工夫をしてきました。例えば、身近であれば北から南に風が抜ける通り庭に打ち水をして調整したり、風鈴で音を鳴らし風を感じたり、桶に水を入れてスイカを冷やしたり、金魚を観照したり、団扇も夏の浴衣の色や模様も、その「心持の方も工夫」して涼をとってきました。

今のようにエアコンや扇風機のなかった時代、家も衣服のように衣替えし、障子戸や襖を、風通しをよくした「簾戸」に置き換えて工夫してきました。この「簾戸」(すど)は呼び名が多く夏戸、夏障子、御簾戸、葦戸でもよく、すだれ(萩、葦、竹ひご)をはめ込んだ建具のことを言います。

通気性のなくなった家の中は、モワっとするような蒸し暑さが増していくものです。学校の体育館なども同様に空気がこもって蒸し暑さにうな垂れますがこれは空気が通っていないために起きています。

襖や障子は紙でできているため水分を吸収しやすく保湿してしまい同時に風も遮断してしまいます。もしも襖や障子で閉め切った部屋になれば、自ずから部屋の空気が動かなくなり障子が吸った水分が溜まり蒸し暑くなるのです。しかし間仕切りしなければかえって外の窓からの熱が廊下伝いに部屋にこもってしまいます。葦の隙間から漏れる木漏れ日のような日陰に部屋の中が柔らかくなり空間がうっとりしてそれだけで涼が流れます。

自然の方を無理やり変えるのではなく、自分の心の持ち方や観方の方を転じていく。先人たちは心の工夫をしながら自然と共生し、自然の善いところを見て自分に都合が悪いところは自然を変えるのではなく「自分を変えて」さまざまなことに知恵を働かせて暮らしてきたのがわかります。

自分の思い通りの生活をすればするほどに我は強くなっていきます。自分の思い通りにならないことばかりに思い煩い不平不満を言って周りを変えようと文句を言う前に、先人たちの工夫のように知恵を働かせてかえってその季節を楽しむような素直で融通無碍な発想や転じ方をしていきたいものです。

自然と共生し、豊かに生きるということはそれぞれの持ち味や特性を生かし、それを適材適所に配置してその魅力を引き出していくことです。

夏の楽しみが増え、夏の模様替えが心の中に風を通してくれます。今年から聴福庵で清々しい夏をしつらえと共に過ごして古くて新しい暮らしを復古起信していきたいとおもおもいます。

 

  1. コメント

    衣食住全てが季節ごとに変わっているのだと、本来の暮らしの在り方を簾戸を通して改めて感じました。衣服は季節に合わせて衣替えが行われ、食事では今の時期だと夏野菜が出回ります。それと同じようように住まいにおいても変化するべきはずですが、エアコン一つで調整して、むしろマンションにおいては、熱がこもりすぎて無くては生活出来ないものにまでなっています。そう思うと稀有であり、大事にしていきたい生活の知恵でもあります。今の生活の中でも出来ることを活かしていきたいと思います。

  2. コメント

    わが家も以前は、夏場は夏障子に変えていましたが、いつの間にか、替え障子は縁の隅にそのままになっています。せめてもと、先日、掛け軸と衝立は、夏用に変えました。考えてみると、「風鈴に涼を感じる」などの日本人の発想とその感性はとても豊かです。実際には戦いであり、季節を楽しむとばかりは言っていられないかもしれませんが、そんな中で先人が発明し創造してきた逞しい生き方を学び直し、その感性の豊かさを取り戻したいものです。

  3. コメント

    子どもの頃は夏の扇風機や冬のこたつが用意される時期になると何かワクワクする気持ちがありましたが、今はもっぱらエアコンのみで事足りるような状態でそれらも姿を消しつつあることを感じます。簡単便利になるほど工夫する楽しみや豊かさもなくなり、それでも夏の暑さや冬の寒さは凌げるかもしれませんが、それ以上に大切なものを失っているようにも思えます。次の季節を迎えるための準備、その手間の中にあった大切なものを思い返し、今の時代、今の環境だったら何が出来るのかと工夫していきたいと思います。

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