人間は、無敵の時と敵だらけになるときがあるように思います。敵だらけになるときは、総じて誰の話にも耳を傾けず独善的に自分が正しくて周りが間違っていると思い込んでいるものです。その時は、一番身近にいる親しい人や、自分のことを心配してくださっている友人にまで敵だと思い込んでしまったりするものです。
では無敵であるとはどういうことか、それはこの反対に人の話に耳を傾けるという時です。人は、話を聴いている状態の時は自分の間違いに素直に気づくことができ、人のアドバイスや忠告を謙虚に受け止め周りの人たちのことが仲間になります。仲間になれば敵はいませんから無敵となるのです。
人間は、話を聴けるかどうかが何よりも自分の状態を確認できる物差しです。大体、人は自分にとって都合の良い話や自分が聞きたい話を探し求めているものです。その逆に、耳の痛い話や聞きたくない話は耳を閉じていたり避けたり、無視したりと耳を傾けることはありません。
この耳は、聴くと書いているように心に直結しています。自分の心が聴きたくないことは耳を閉じればいいのです。耳を閉じるというのは、話を聴かなくなればいいのです。しかしこの時、心を閉じてしまうから周りは敵に見えてしまうのであり心を開いていれば周りは仲間に見えるのです。
思い込みが強ければ強いほど、相手のことを先に決めつけてしまい話を聴くことはありません。確かに正しいか正しくないか、自分にとって有利か不利かはありますが本来は相手の言い分にも「一理ある」と聴くことこそが自分によって有利でありそしてもっとも正しいことに近づくことになります。
この「一理ある」という聴き方は、自分だけではなく相手のことを認めているという行為です。相手を認めず自分の思い込みだけを押し付けてしまえば相手は自分が尊重されなかったと感じてしまい信頼関係が崩れてしまいます。人間は、見た目が同じようでもそれぞれに個性が異なり持ち味を活かし合う生き物ですからお互いを尊重しあい信頼関係を築くことで協力して生き延びる戦略を発揮して社會を形成してきた生き物です。
だからこそその基本(ベース)には、「聴く姿勢」を持つ必要があるのです。素直さや謙虚さは自分の「聴く姿勢」に顕れます。自分から「きっと大切なことを教えてくださっている」という姿を持ち続けて、人の話を聴く努力ができる人が将来的に人格が磨かれ徳を高めていくように思います。
子どもたちも素直に謙虚に心を開いて自分らしく生きていけるように、聴く姿勢を正していきたいと思います。
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人は、会った瞬間に「敵か味方か?!」を見分けると言いますが、そこには強烈な「保身」が働いているのでしょう。私は、「縁」というものを強く意識するようになってから、「すべて協力者である」と認識するようになりました。「味方の姿をした協力者」と「敵の姿をした協力者」がいてくれるのであり、私に優しい人も、私に厳しい人も、「役割が違う」だけで、ともに「協力者として接してくれている」という感じです。「自分の都合」より「縁」の方を信じたいと思っています。
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自分自身の心のあり方が受け取り方を左右していて、同じ話であっても話し手が変わるだけと入って来るときもあります。ですが、どんな人からも学ぶところがあり、投げやりにならず工夫して学び続ければ、全てがプラスになります。視野の狭さで学びを無駄にしていないか、こころの状況を確認することも大事にしていきたいと思います。
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ことわざに「目は口ほどにものを言う」というものがありますが、これは目だけに限らず、人間はものを聴く時も耳を傾けながら同時に何かものを言っているのかもしれません。もし同時にものを言えば自分の声の方が大きく聴こえ相手の声はかき消されてしまいます。聴くに徹するには耳を澄ませることが大切なのだと改めて感じます。