西洋から誕生日の文化が入り現在は誕生日をそれぞれ個々にお祝いするようになっていますがむかしは、誕生日をお祝いするという風習はなく数え年といって正月にみんな一斉に行っていたそうです。個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定されて以降で満年齢での数え方になってからといいます。
しかし古来から日本では、人生の儀式が行われてきました。七五三や成人式などもその一つですし、長寿祝いなども行われてきました。
この長寿祝いは、中国の儒教から取り入れられた文化です。
もともと中国の儒教には、敬老思想と長寿を尊ぶ思想というものがあります。唐末から宋代には長寿を祝う詩を贈ることが流行しこれが平安時代に日本の貴族の間で広まりました。祝う歳は奈良時代頃までは四十歳、五十歳の十年刻みだったものが鎌倉時代以降に現代の六十一、七十、七十七という年齢で祝うようになりました。
その中でも還暦は、江戸時代、干支についての俗信流行の流れに乗り、人生の中の一つの行事として大きく広がりました。
還暦は、昔の暦では十干と干支が六十年で一巡し、六十一年目に暦が戻ってくることからめでたいものとされています。そして古稀は中国唐代の杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」に由来し、喜寿は「喜」という字を草書体にくずすと「七」を三つ並べた字となり七十七に読めることから来ています。そして傘寿は「傘」を略した中国文字が八十と読めること、米寿は「米」の字が八十八を組み合わせた形であること、また卒寿は「卒」の略字「卆」が九十と読めることに起因します。そして九十九の歳は「百」という字から「一」を取ると「白」になることから、「白寿」と呼ばれています。
日本にはお祝いをして、「肖る(あやかる)」という文化がありました。幸福の人をみんなでお祝いすることでその幸福や仕合せの影響をみんなで受けて授かろうという考え方です。
お祝い事をみんなで喜べるのは今もむかしも素晴らしいことで、人間の善いところ、自然からいただている恩恵に感謝したり、素直な生き方を伸ばしているようにも思います。
一つ一つの伝統の意味を深めながら、子どもたちに譲りたいものを遺していきたいと思います。
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生まれたことをみんなでお祝い出来るのは、明るい社会だと感じます。高齢化と課題が叫ばれることが多いですが、家族が集まり喜び合えるのは有難いことです。うちの祖母も90を超えましたが、よく食べよく喋り元気です。祖母がいたからこそ、私の母が生まれ、そして今の自分がいます。長寿のお祝いは誕生日を迎えた本人のお祝いだけでなくら家族との繋がりであることも忘れず、家族を改めて大事にしていきたいと感じました。
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「お裾分け」という福を分け合う「分福」の思想もありますが、誰かの福を祝い、その福に「あやかる」というのも、豊かな暮らしの智慧でしょう。人の成功や悦びに「嫉妬」しがちであると言われるなかで、「祝福の文化」があることは嬉しいことです。長寿だけでなく「お祝い」の機会を見直してみたいと思います。
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幸福の人をみんなでお祝いするという肖るという文化はとても素敵なことで、よく考えてみれば節目に限らず日々小さなことでもその気持ちでいることが大切なのだと感じます。肖ってもらう側もそれによって意味を感じ直したり感謝を深めるのかもしれません。好循環の行いを大事にしていきたいと思います。